アメリカナイゼーションとしてのグローバリゼーションが進行するなか,日本,さらには国際的な規模で経済,社会,企業の有り様が変化している。従来のパラダイムでは捉えきれない事態が全世界的規模で進行しているといってよい。日本での身近な例をあげれば,雇用のあり方,企業経営のあり方,「日本的経営」の後退,「格差社会」,ニート・フリーター,などなど…数え切れないくらい出てくる。このような事態を総称して,私は「諸価値の動揺」という言い方をしている。ではこのような時代に我々はどう行動すべきなのだろうか。「時流に乗るな」,ということである。つまり自分のアタマに確固たる判断基準を築いて,自らが判断を下し,それに基づいて行動する,ということができる人間であってほしい。そのためには,歴史に学び長期的視野を獲得することが地味なようで一番の近道となる。過去から現在に続く人類の歴史のなかで,私たちはどこからきて,現在どこにいて,さらにどこへ行こうとしているのか,これを企業社会という観点から考える。
ものごとを批判的に捉える姿勢,自らのオリジナルな立場を獲得したい人にはうってつけ。胡散臭い世の中の内実を探りたい,という人にもうってつけ。考えてもらいたい一例を示すとこうである。「勝ち組」「負け組」という流行語的な表現がある。「勝ち組」という言葉を使っている多くの若い人たちは,特に深い考えがあってそう言っているわけではないだろう。しかし「勝ち組」を言う人は,意識する・しないに関わらず必然的に「負け組」を考慮に入れていることになる。なぜならば「勝ち組」なんてものは相対的な概念であって,「負け組」が存在しないと存在できないからである。「全員勝ち組」では「勝ち組」概念は成立しない。「負け組」を前提としなければ現代社会を表現できない,この日本の状況は一体なんなのだろうか…。よく勉強していくとここから様々なことが見えてくるはずである。アメリカ型市場主義の影響,日本の雇用の有様,などなど。時流に乗って,「勝ち組」「負け組」という言葉を使っているだけでは意味がない。誰でもできる。重要なのはその背景に隠れているモノ(現象ではなく本質)である。
2年次:ゼミの受講者には毎時間,テキストの一定部分の報告・発表を求める。その報告に基づいて全体で議論する。報告・発表などの仕方については初回に説明したい。議論には積極的に参加して欲しい。見当はずれなことを発言しても,たかだかゼミであるから躊躇する必要はない。ゼミは「喋ったもん勝ち」である。テキストからの話ばかりではなく,それに関連する現在のネタも新聞などから紹介していく。担当者は雑談好きである。ゼミの内容あるいは進め方に,しんどくなってきた場合は担当者をうまく雑談のほうに引き込んで(誘導して)いただきたい。
3年次:テキストを読みつつ,関心のあるテーマを絞っていく。それについてのレポートを書いてもらい,合宿などを通じ皆で議論し,内容を洗練させていく。
4年次:卒業論文を書く。随時,担当者がアドバイスする。最後に出来上がったものを発表してもらう。自らの考えを積み上げて卒業論文を仕上げていく作業は,後々になっても忘れられない経験になる。
|