地球環境問題と環境経営 |
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内田 一秀 (うちだ かずひで) |
【出身,経歴,趣味など】 1948年,武田信玄,富士山,南アルプス,葡萄,桃,で知られる山梨県甲府市で生まれました。いわゆる団塊の世代です。(現在58歳)18年間を甲府で過ごし,1967年受験に失敗し,進路変更(理科系から)して,唯一合格した京都の同志社大学商学部に入学しました。当時大学は,学園紛争の真只中でキャンパスは封鎖されたり,授業も試験も無く,単位の半分は郵送レポートで取得したように思います。このまま社会に出てもまずいと思い,大学院修士課程(商学研究科)を急遽受験,前期試験では不合格でしたが,辛くも後期試験で合格しました。博士課程の入学試験でまたまた不合格になりましたが,明治大学の博士課程(経営学研究科)に辛うじて合格,外部者にも門を開いてくれた寛大な明治大学には,今でも感謝しています。さて博士課程は3年で終わりましたが,なかなか研究職に就職できず,3年間博士課程に籍を置きました(オーバー・ドクター)。いいかげんいやになり数えていませんが,10回以上就職試験に落ちました。私の人生は,節目節目で不合格と進路変更の歴史だったと思いますが,これで鍛えられた面もあると思います。最後でまた進路変更かと思いましたが,1980年に沖縄大学に合格しました。生まれて初めて飛行機に乗り,沖縄に行きました。沖縄は,人も気候も食べ物も非常に良いところでしたが,田舎者の私には,ほとんど外国でした。沖縄で暮らして,受けたカルチャー・ショックは大きなものでしたが,今までの自分をあらゆる意味で棚卸しできて本当に良かったと思います。 3年間,沖縄大学に勤務した後,縁あって1983年に本学で採用してもらいました。最初の担当科目は,経営管理論でしたが,その後賃金管理論も担当するようになりました。本学に来てあっという間に20年が過ぎてしまいました。その間,札幌学院大学,北星学園大学,放送大学の非常勤講師をさせてもらいました。北海道も非常に良いところです。特に趣味でゲレンデ・スキー,クロスカントリー・スキーが身近に出来ることは何よりです。 【モットー】 「良心を手腕に運用する」です。これは新島襄が言ったといわれていますが,志し無しの技術は良くないが,技術も無い観念的志しも良くない,両者をもって対処すべきであると勝手に解釈しています。ですが実際はなかなかうまく行きません。 【研究テーマ】 アメリカ経営学研究から始め,それを深めるための「アメリカの企業内労使関係」です。19世紀末から始め,最近は1930年代を対象にしています。いまや社会科学の研究も集団研究の時代になりましたので,全国の仲間と共同研究をしています。 【社会活動,社会貢献,対外活動など】 札幌大学では,過去ほとんどの委員をしましたが,現在は,経営学科長をしています。学会では,労務理論学会の理事をしています。また経営学会,経営史学会,社会政策学会の会員です。そのほかには北海道私学助成推進協議会の会長をしました。 ここ3年間で,4つの高校の出前授業をしました。 |
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