研究領域は古代日中文化交流史。主に中国唐代と日本奈良朝間での文化交流をテーマとしている。最近のテーマは「古代日本国家が派遣した留学者」、「仏教を受容した古代日本社会の社会構造と活力」ここに「中国語教育法」が加わって、「道具あるいは手段としての中国語が持つ有用性」、「日本人が日本人に中国語を教える有為性」等について考えている。発表論文・出版物は以下の通り。 |
「文化伝来的考察ー以六世紀仏教公伝為中心(文化伝来の考察ー6世紀の仏教公伝を中心に)」
1997年12月、『中日文化論叢1996』所収、杭州大学出版社 |
氏姓制度下における有力豪族の権力闘争と、二大権勢が掲げた崇仏、廃仏の旗印に示された仏教という海外文化を受容する上での、当時の日本社会の文化摂取のメカニズムを論考。中国語論文。 |
「円載還俗与『会昌廃仏』的関係(円載の還俗と『会昌の廃仏』の関係」
1997年9月、第2回中国天台文化学会での発表論文。1997年12月、『中日関係史研究』所収、中国中日関係史学会・北京市中日関係史学会編。1998年『東南文化』増刊号に転載。 |
遣唐留学僧として渡海し、二度と帰ることのなかった円載にきせられた破戒僧としての悪名は、はたして彼の実像なのか。円珍との不幸な再会がなければ、また、帰国の船が難破することがなければ、後世の評価はまったく違うものであったかもしれない。中国語論文。 |
「防風氏的風(防風氏の風)」
1998年7月、『浙江省中日関係史学会通訊』所収、浙江省中日関係史学会編。 |
中国浙江省の民俗風習に見られる「防風氏」の由来に関する考察。冬になると村中に流行する風邪を外からの邪気の侵入と考え、それを防ぐ地神としての「防風氏」信仰は、日本の道祖神にも通じる民間信仰であり、その祭祀の場を訪ねてまとめた民俗学的考察。中国語論文。 |
「張九齢代筆の勅書に見る唐朝の外交感覚」
1998年8月、中国杭州「遣唐使時代の東アジア文化交流」国際シンポジウムでの発表論文。 |
唐朝の宰相張九齢が玄宗皇帝の名において周辺諸国に送った国書に注目し、そこに見られる書式の違いから、当時の日本が置かれていた外交上の位置を考察。日本語論文。 |
「塞曹掾史張政は何をしにきたのか」
1999年2月、『中日文化論叢1997』所収、杭州大学出版社。 |
『魏志倭人伝』に登場する張政という魏朝の外交官に注目し、彼がはるばる倭国までやってきた時代背景と、卑弥呼亡き後の邪馬台国で彼が果たした任務について考察。日本語論文 |
「真備将来品に関する考察」
1999年5月、『アジア遊学・日本の遣唐使』所収、勉誠出版。 |
吉備真備が18年間の唐での留学生活を終えて帰国した際に、朝廷に献上した品々に注目し、それらを将来した真備の目的と手段、彼がそれを選んだ時代背景を考察。日本語論文。 |
「吉備真備に見る日本奈良時代の国際性」
2000年1月、『中日文化論叢1998』所収、浙江大学出版社。 |
下官の身でありながら右大臣にまで位を極めた吉備真備の足跡と、多大な権勢を誇った藤原一門との比較検討を通して、真備がなぜこの時代に重用されたのかを考察し、奈良時代が具えていた国際性を論証。日本語論文。 |
「関於仏教受容的原動力和当時的社会構造(仏教受容の原動力と当時の社会構造について)」
2000年10月、『札幌大学総合論叢第10号』所収。 |
6世紀の日本が仏教を受容した社会背景に注目し、信仰というよりも新進文化としての仏教が求められたことを論考。中国語論文。 |
「試論遣唐使時代有関“留学”的区別称呼(遣唐使時代の「留学」の呼び訳について」
2001年3月、『札幌大学総合論叢第11号』所収。
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『日本書紀』・『続日本紀』に見られる海外留学を、その呼び方の変遷に注目して論考。中国語論文。 |
張九齢代筆の勅書に見る唐朝の外交姿勢
2001年10月、『札幌大学総合論叢第12号』所収。 |
唐朝の宰相張九齢が玄宗皇帝に代わって周辺諸国に送った勅書を通じて、当時の日本が置かれていた国際的な立場を論考。日本語論文 |
遣唐使時代の留学の呼び分けについて
2001年5月、勉誠出版『アジア遊学』所収。 |
7世紀から8世紀にかけての日本からの留学者に付されたさまざまな肩書きを通じて古代日本の留学観を論考。日本語論文 |
古代日本留学者―勝鳥養をめぐって−
2002年3月、『札幌大学総合論叢第13号』所収。 |
『続日本紀』に名を残す古代日本の留学者勝鳥養と唐の史料『法苑珠林』に登場する倭人会承の関連性を探る。2001年10月早稲田大学古代文学比較文学研究会主催のシンポジウム「古代日本・中国・朝鮮半島における文化交流研究の新展開」での発表内容をまとめたもの。中国語論文。 |
雑誌『中国』に見る文化大革命
2002年10月『札幌大学総合論叢第14号』所収。 |
竹内好らによって創刊された雑誌『中国』の掲載記事を通してみた、日中国交回復前の日本におけるプロレタリア文化大革命の見られ方を論考。日本語。 |
『あのころの日本』
2003年1月 日本僑報社
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竹内実監修、鐘少華編著、泉敬史・謝志宇訳
昭和初期に日本に留学した中国の若者たちが見た当時の日本社会と日本人についての回想インタビュー録。 |
「船連」姓者が残した足跡についての考察
2003年3月 『札幌大学総合論叢第15号』所収 |
古代日本仏教界の3人の巨人(道昭・鑑真・行基)の背後に共通して見られる「船連」姓者の足跡を考察 |
謎の渡海者勝鳥養をめぐって
2004年1月 早稲田大学古代文学比較文学研究所編、 勉誠出版刊『交錯する古代』所収 |
『日本書紀』にたった一箇所だけ名前を残す謎の人物「勝鳥養(すぐりのとりかい)」に関する考察 |
「春桃原をめぐる考察」
2005年3月 勉誠出版刊『アジア遊学73号・日本文化に見る道教的要素』所収