ペンザでの研究会

ペンザ大学から招待があったので、今年はペンザに学会発表に行った。

 

モスクワ

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モスクワ。当然、札幌からペンザへの直行便はない。札幌−東京−モスクワ−ペンザ。長旅である。

モスクワはいつものコスモス・ホテル。

前にはなぜか「タヌキうどん」の看板が。しかし、なぜタヌキが「金」なのか理解しているのだろうか、ロシア人は…

第一、ロシアにタヌキは生息しているのだろうか?

 

 

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全ロシア展示会場。昔は「国民経済達成展」といった。

ソ連的なオブジェの宝庫である。

これは「諸国民友好の噴水」。旧ソ連圏の15共和国を象徴する15体の女性像、と思ったら、あれ?

16体あるぞ。なぜだ?なぞだ。

(答えは「カレロ・フィンССР」で調べてみよう。

 

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これもなつかしい。炭酸水の自動販売機。ソ連時代は青色だったと記憶している。

 

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「酔っ払い博物館」。ほとんどソ連時代のテーマ・パークとなっている。

 

ペンザ

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夜行列車でペンザに到着。思ったよりこぎれいで、上品な町だった。

 

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ベリンスキーの銅像。

うかつであった。無慈悲な批評で名をはせた「革命的民主主義者」のベリンスキー、生まれはヘルシンキのスオメンリンナ島なのだが、もともと彼の一族はペンザの聖職者の家系だったとのこと。ペンザでは郷土の偉人である。

 

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で、発表。若手が中心だった。

 

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研究会の後はエクスカーション。タラハーヌィというところまでバスで出かける。

詩人のレールモントフの領地だとのこと。これも初耳。

 

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「早熟の天才」「プーシキンの再来」ともてはやされた詩人のレールモントフが幼年時代を過ごした家が博物館になって保存されている。

 

 

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レールモントフの書斎。

 

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レールモントフの墓。ペテルブルクの社交界でもてはやされ、コーカサスでは異民族との戦いに身を投じ、最後は決闘で斃れる。ロマンに満ちた一生だった。

 

再びモスクワ

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で、モスクワに戻る。やはりモスクワに戻るとホッとする。

 

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地下鉄レーニン図書館駅のレーニンとも長い付き合いだ。

 

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クレムリン。久しぶりに来てみたら、中国人観光客でごった返していた。

 

 

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こちらは新しいモスクワ。「シティー」の高層ビル群。

 

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