プーシキン大学

駆け足でソ連各地を旅行して日本に帰ってきてみると、ソ連社会主義を「立て直す」はずの「ペレストロイカ」の奔流がソ連自体の崩壊へと予想をはるかに超えるスピードで進展していた。「何とかしてもう一度、ソ連を見てみたい」と、今度はちょうどその当時はじまった私費留学制度を利用してプーシキン大学に半年間、留学した。

 

なつかしのプーシキン大学(通称「プー大」)

「留学」といっても、もとよりこちらはロシア語の授業などに出る気はさらさらなく、もっぱらレーニン図書館に通って自分の研究資料をコピーしたり、ソ連各地を旅行したりしていた。

 

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