マネージ広場

 

クレムリンの前に広がるマネージ広場。革命前はオホートヌィ・リャド(獲物市場)だったが、ソ連時代にモスクワ改造計画の一環で一掃され、「革命広場」となった。

 

都心にある広場、ということもあってソ連時代からしばしば大規模な集会の会場として使用されてきた。

 

ソ連崩壊半年前のエリツィン派の集会(916)

 

こちらは最右翼「労働ロシア」の集会(922)

ソ連崩壊直後だったこともあり、ソ連の復活と計画経済への回帰を訴えていた。

 

何の前触れもなく工事が始まった(933)

最初は集会をじゃましようとする当局の陰謀だと思われていた。

 

モスクワの都心で予想以上の規模で工事がつづく(945)

 

クレムリンの目と鼻の先に巨大な穴が出現した(969)

 

1997年のモスクワ創立850周年にあわせて地下3階の巨大なショッピングセンターが完成した。

 

モスクワの経済的繁栄を謳歌するかのように、内部は豪華絢爛。テナントも超高級店ばかりが軒をならべる。

とはいえ、これら超高級品店の多くは98年のロシア・バブル崩壊以後、閉店に追い込まれた。地下3階のファーストフード・コーナーは相変わらず若者でにぎわっている。

 

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