ネクラーソフНекрасов, Н. А. (1821-77)
ヤロスラーヴリから上京してペテルブルク大学の聴講生となるが、仕送りをたたれて一転、貧乏生活に。困り果てているところをベリンスキーの紹介で出版業界に職を得る。これが大当たり。 ネクラーソフ自身、詩も書いているが、彼の才能は雑誌編集で花開いた。『同時代人』や『祖国雑記』は彼の編集で大当たりした。ちなみに『同時代人』の共同編集者のパナーエフとは妻を「共有」した。なんと言っても文学はゲージツだからそのぐらいは許されるのだ。 墓地はペテルブルクのノヴォデーヴィッチ修道院。(おなじノヴォデーヴィッチでもモスクワではない。)イコン画家の山下りんが修行した修道院でもある。 ジャーナリズムは19世紀の情報産業だから、現代流に言えばフリーターからIT長者、そして御乱交、ということか。たしかに名門修道院にこのお墓、財産がないとできないワザである。 |