チェーホフЧехов, А. П. (1860-1904)

 

 農奴だった祖父はお金を貯めて自分の身分を買い戻し、自由となった。父は雑貨商を営んだが破産して夜逃げしてしまった。のこされたチェーホフはモスクワ大学医学部在学中から生活のために書きまくった。父母弟妹を養うために年間100本以上の戯曲を書いたこともある。

で、医者の不養生を体現したような人で過労から結核に罹り44歳で死んでしまう。代表作「かもめ」はモスクワ芸術座のシンボルにもなっているが、個人的には「桜の園」。それは、私が下落合に住んでいたバブルのさなか、隣の家が地上げされて、見事な桜が切り倒された想い出に繋がっている・・・

墓所はモスクワのノヴォデーヴィッチ修道院。

 

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