チャアダーエフП. Я Чаадаев(1794-1856)

 

 モスクワの名門シチェルバートフ伯爵の家系に生まれ、モスクワ大学を卒業。ナポレオン戦争に参加した時も近衛士官としてアレクサンドル一世と共にパリに進駐した。良家の秀才。

 1821年に突然、軍隊を退官し、哲学と歴史の研究に没頭する。ヨーロッパ各地を遊学した後、「哲学書簡」を著すが、これが後にスキャンダルを呼ぶ。

 この「哲学書簡」、検閲官がトランプに夢中になってロクに読みもしないで(フランス語で書かれていたので面倒くさかったとの説もある)許可したものだから、雑誌『テレスコープ』にそのまま掲載されてしまった。

 その内容は、というと、過去も未来もないロシアは現在だけを薄っぺらに生きている、だとか、東方正教会を奉じるロシアは人類の歴史の外におかれている、だとか、ロシアに対する悪口雑言、言いたい放題の代物だった。

 当時の検閲法は、出版を禁ずることはできても、一旦出版されたものについて罪を問うことができなかったので、しかたがなく、皇帝ニコライ一世は医師免許もないのに自ら、チャアダーエフを「狂人」と診断し、軟禁状態においた。世間から隔離したわけ。

 他方、「哲学書簡」を読んだ若者は大騒ぎ。ロシアの進路を巡って「西欧派」と「スラヴ派」にわかれて大論争が展開した。

 というわけで、モスクワの人である。墓もモスクワのドンスコイ修道院にある。

 

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