フルシチョフН. С. Хрущев(1904-1971)

我々からすると1956年のスターリン批判演説をするなど「雪解け」の人としてのイメージが強いが、本家のロシアでは「トウモロコシのニキータ・セルゲェヴィッチ」である。戦後のソ連の非スターリン化を推進し、農業の近代化に貢献した、とされる。が、その実、処女地開拓による耕地面積の単純拡大やトウモロコシに特化したモノカルチャー農業など、「質より量」の政策でもあった。素朴なトウモロコシおじさんなのだ。外交面でも国連総会の席上、「反ソ演説」に抗議して脱いだ靴で机を乱打するなど、いかんなく「ロシア」をアピールした。

共産党第一書記兼首相を務めたにもかかわらず、クレムリンの壁には埋葬されず、墓所はモスクワのノヴォデーヴィッチ修道院(の端っこ)。64年の失脚後、ブレジネフ期には冷遇されたため、長いこと墓碑がなかったという。失脚後に著した『回想録』が原因とも言われる。口は災いの元、である。

 

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