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規範的教育論の岐路 Normative Theory of Education at the Crossroads
は じ め に
近代教育の〈神話〉を拡大再生産しつづけてきたと論及されること近年とみに多い規範的教育論(者)は今日なんらかの態度決定をせまられているといえよう.こうした批判にたいして,居直る,黙殺する,寛容を装う,解毒して同化する,語ることをやめるなど以外の対応がはたして可能か? 本稿は,このような問題意識のもとに,日本教育学会第55会大会(於京都大学)全体シンポジウム「教育学はどこへ──教育学のパラダイムの再検討」(1996年8月29日) の席上おこなった報告「岐路に立つ規範的教育制度論」の原稿(Part 1)に,本学での講義「現代社会と教育」(1995年度)の講義ノートから上記テーマに関連する部分(Part 2, 3)を抜粋して加えたものである.
Part 1 岐路に立つ規範的教育制度論
1 政治的啓蒙の問いをもう一度
1-1 <運動コンプレックス>
札幌大学の田原です.2〜3年前,わたしの少し後輩に当たる人がある雑誌にこんなことを書いていました.自分は「運動」という言葉を前にするとなんとなく落ちつかなくなってしまう最後の世代だというような中身でした.ローカルな話(『東京大学物語』教育行政学の巻)でピンと来られない方もいらっしゃるかと思いますが, わたしにはよくわかります.研究者に研究者以上のものを求めるある種求道者的な伝統がたしかにそこにありました(おそらく今もどこかにあるのでしょう).そして,この伝統のもとでは「運動」のためにという問いかけがしばしばすべてに優先されることになり,その結果,その問いになじまない類の研究は,内容云々以前に,無価値な,あるいは有害なものとみなされがちという雰囲気が醸しだされていたことは否定できません.言い換えれば,つねに特定の結論が要請されていたと言ってもよいでしょう.結論がすでに用意されてあるからには,その名に値する問いが成立する余地はもとからなくなってしまいます.
1-2 コンドルセの答案
啓蒙はこのジレンマにたいしてはるかに自覚的でした.ベルリンのアカデミーが問うた問い〈騙されることが人々にとって有用であるかどうか?〉とそれにたいしてコンドルセが与えた回答はとても興味深いものです.
「権力を奪取する方途を公表すれば, かえって敵を利し, 人々に損害を与えかねない.たとえ,真理を語ったとしても, それらの真理が大多数の人々に受け入れられるようになる以前に, それらが役に立つことを期待することができない場合, また,それらの真理が人々を怯えさせる場合にも,真理を語ることは危険であろう.ゆえに,大切なのは, 真理を虜れの身にしておき,それを誤謬で置き換えることのないようにしておくことだ.そしてこの場合, 人類の守護者は, 圧政者たちに対抗して, 一人の将軍でなければならないが,ただし自らの戦闘計画を公表してはならない.」
政治的啓蒙の精神をこれほど正直に吐露している文章をわたしは知りません.語られているのはまさしく運動の論理, 時務の論理(三木清)です.原理ではなく便宜,普遍ではなく個別であることがハッキリと自覚されています.便宜を原理として語る人がもしいたとしたら,コンドルセはためらうことなくその人を啓蒙の対象(蒙昧の徒)の列に加えたことでしょう.
1-3 政治的啓蒙の条件
仮に政治的啓蒙の要点をまとめると,(1) 我等の理論的水準が敵のそれよりも高いという前提のもとに,(2) 政治的なマイナス効果を先回りして阻止し,(3) そうすることによって解放を現実のものとする, となります.冷戦期に陰に陽にささやかれた〈政治的配慮〉というマジック・ワードをこれら3点からテストしてみましょう.
横から見ると四角(平等主義者)に見えるが,上から見ると円(能力主義者)に見えるコンドルセという円柱があるとします.〈政治的配慮〉の当事者の側からすればこうなります.(1) 我等はそれが円柱であるということを知っているが,敵には円しか見えていない.(2) 我等はそれが四角であるとだけ言う(マイナス効果を阻止するため隠し事はしているが,嘘をついているわけではない).(3) そうすることによって教育に平等を樹立しよう.
実際にはこうなのではないでしょうか.(1) 「我等」にも「敵」にも円も四角も見えているが,円柱は見えていない.(2) 円にも見えるのではという見解を「反動的」であると断じることによって,コンドルセ=四角説を聖化し,自らを縛る.(3) 個人的差異を二次的な攪乱要因としてしか位置づけられず,目的を遂げられない.
適切な例ではなかったかもしれません.言いたいのはこういうことです.そろそろ〈政治的配慮〉を表舞台で論じてもいい頃合いなのでは? それは有効であったのか? 便宜が真理にすりかわったのでは? そのことすら気づかれていないのでは? 冷戦期教育学(国民の教育権論を念頭に置いています)は何の理論的遺産も残さずに去っていってしまうのでしょうか?
1-4 他者を自己に回収する
あまりに清算主義的な,と思われるかもしれません.〈ワレワレ〉は「公認の真理への自由な懐疑」(教育学研究編集委員会)を推奨し,自らも実践してきた,との反論もおありでしょう.そのことに少し触れます.
ご存じかと思いますが, コンドルセは女権論者であり奴隷制反対論者でした.そのかぎりで,他者の存在を承認していたと言ってよいでしょう.しかしその一方で彼は文化帝国主義者でもありました.そして,わたしの見るところ, 二人のコンドルセをつないでいたのは, 〈ワレワレの価値の開かれた普遍性〉への信頼感にほかなりません.〈男・ヨーロッパ人〉の視点を相対化する態度はこの普遍概念のなかにすっぽり収まっており,他者の承認といい自己相対化いい,所詮は〈真理〉を無限遠点に置く時間軸上のエピソードとして処理(たぶん排除も含まれる?)されているのではないでしょうか? それとも,かの時代はともかく,〈ワレワレ〉の時代においては,差異の承認と普遍性の主張というアンチノミーによってもたらされるはずのアノミーがどこかで論じられたことがあるのでしょうか?
2 考古学的理性批判へのナイーヴな問い
2-1 近代教育(学)批判の説得力
昨年のシンポジウム《教育学の最前線》のなかでちょっと気になった発言があります.「戦後教育学は対抗軸がハッキリしていてとてもわかりやすい」というのがそれです.あたかも《教育学の最前線》は難解だというニュアンスでした.そうでしょうか.少なくともわたしの経験では,冷戦期教育学よりも《最前線》のほうが受けが悪いということはありません.お前の紹介の仕方にバイアスがかかっているからだと言われればそれまでですが,要はどちらにリアリティがあるかということなのだと思います.教育の現実は,冷戦期教育学の用語法では表現できない事態に満ちているということの反映だろうとわたしは受けとっています.もやもやっと感じていたことに言語的な表現を与えられたというような….その意味では,考古学的批判によって教育アカデミズムはようやく現実に追いついたといったところでしょうか.
2-2 性急な悩み
わたしは考古学的方法に魅力を感じてはいますが,意識的にそれを使ってきたわけではありません. しかしながら, わたしがシコシコとやった研究の結論, 「無償教育に内在する授業料概念は,万人にとって等しい『価値』をア・プリオリに有する教育を云々」という結論には何かしらどこかで耳にした(ちょっと紋切り型の)響きがあるのもたしかです.こりゃいい線かなという感じでした.ところが,それを本(『授業料の解像力−教育における〈近代〉の分析』東大出版会)にしたときに,よせばいいのに,「あとがき」に,「現代日本における教育(制度)改革の可能性の所在の究明に資するための基礎作業を試みる」のが「本書のライトモティーフ」だなどと書いてしまいました.「基礎作業」と逃げを打ったにしろ,なにをどうすればいいのかといった規範的提言をおこなった箇所はどこにもないのに.
この「あとがき」にあらわれているのは,現実を先回りし,なおかつそれをコントロールしたいという欲望です.この欲望こそが〈近代〉の一つのメルクマールであることを思うとき,〈近代〉の恣意性を指摘した舌の根も乾かないうちにこんなことを書くとは….われながらあきれてしまう次第ですが,近代教育の〈神話〉を暴露する教育史や教育社会学の研究者の皆さんにはこんなことを思い煩う経験はおありじゃないんでしょうか?
2-3 考古学の色気
いろいろな研究スタイルがあってかまわないのはそのとおりでしょうし,〈神話〉を暴露した人に向かって, 「じゃあどうしろというんだ」と居直るのは,少なくとも研究のプロがとるべき態度ではないでしょう.背後仮説とか理論負荷性といったことにかかわる厄介な問題もあることでしょう.けれども/だから,ここでは,とてもプリミティヴな疑問をぶつけてみたいと思います.
言うまでもないことながら,考古学的な研究には「〜べきだ」という言葉は出てきません.それは禁欲の結果というよりは,むしろ,採られている方法の必然的帰結とみなすことができます.その代わりしばしば目にするのは, 「抑圧」とか「規律化」といった言葉です.それらは解釈作業のそこかしこに出現し, 形式的には記述命題のなかに収まっています. だけれども,素直に読んでいくと, それらの言葉からはネガティヴな匂いが立ちのぼってくる感じがします.もちろん,それらの言葉が出てくるたびにいつでもそんな匂いがするわけではありません.おそらく,何らかの特定のコンテクストのなかに置かれた拍子に臨界点(critical point)を突破して匂い立つのでしょう.
こうした記述命題のもつ規範的機能を意図的に活用してきたのは,教育を本質存在としてとらえる規範的議論でした.端的にいえば,それはこれまで教育条理(Natur der Sache) 論の専売特許でした. 本質主義・自然主義に批判的なスタンスをとる恣意性論が, 自然=規範からの偏差を指摘することによって現実を裁断する思考法の外部に立っているのだとしたら,「非抑圧」や「脱規律化」といったポジティヴな観念を予想させるあの匂いはいったい何に由来するのでしょうか? わたしの嗅覚がおかしいのでしょうか? おかしくないとしたら,それは意図されざる結果なのでしょうか? それとも意図された効果なのでしょうか?
3 生まじめな教育制度論のために
3-1 アカデミック・ギャップを埋める
規範的教育論のうち,いわゆる教育哲学よりも相対的により物質的な仕組みの在り方を持ち分とする分野を大雑把に教育制度論と呼ぶとしますと,この分野と教育アカデミズムの他の諸領域とのあいだ,さらには狭義の教育アカデミズムには属していていない隣接諸領域とのあいだのアカデミック・ギャップはもはやまともなコミュニケーションの成立する余地のないほどに開いてしまっています.このことを承認し,そのギャップを埋めることは焦眉の課題だと思います.
3-2 現実とのギャップを埋める
理論の後進性を承認するならば,ここ20〜30年間における他の理論分野の進展を否定しないかぎり,当然のことながら, わたしたちのこの分野が現実から置いてきぼりをくらってきたということを直視することになります(あるいは逆も言えます.現実についていけないことの承認のほうが先行することもあるでしょうから).これまでは知らないでいることができたけれども, こうなったら知らないでいることができないような現実がたくさんあるのではと考えます. 要するに,理論にリアリティをもたせなければなりません.現実を動かすことに熱心であるあまり,それが動かないときに,困難の原因を現実の側に押しつけるという轍を踏むようなことだけは厳に慎むべきでしょう.むしろこちら側の問題なのです.理論をつくるという観点からみれば,この難局はチャンスですらあると言えます.
3-3 限界を共有する
普遍性や本質をこれまでと同じような語り口で語ることはもうできないと思います. かといって,安易に相対主義を気取ることにも警戒しなければなりません.
では,今しがた申し上げた二つのギャップを埋めたとして,どのような道が規範的教育制度論の前に開けるでしょうか? 脱構築の対象として受動的なサブジェクトとなるか,あるいは解放的ディスコースの超越論的サブジェクトとなるか,どらちらかの道しかないのでしょうか? はたまた両者の間で右往左往するしかないのでしょうか? それとも,その不安定性をシステマティックに戦い抜く現場となりうる道がどこかにあるのでしょうか? わたしとしては,この最後の道を開拓することが〈たったひとつの冴えたやりかた〉(the only neat thing to do) だと考えます.でも,そうだとして,さてどこから手をつけていけばいいのでしょうか?
これといった妙案を持ち合わせてはいるわけではありません. フロアの皆様からお教え願いたいところです.とりあえず,ここでは,似たような状況に置かれている──というのは, いかなる女性性も関係の産物であり,恣意性を免れないということを承知しつつも, なおかつ他の何ものでもない「女として」発言するという意味です──フェミニスト諸派のなかからヒントが得られるのではないかということを指摘するにとどめざるをえません.たとえば,次のような問い, 「わたしたちはどうすればポストモダンのメタ物語への不信感とフェミニズムの社会・批判の力を組み合わせることができるだろうか」(フレイザー/ニコルソン)という問いは, まさしくわたしがここで問いたい問いと重なっていますし,また,「本質のリスクを進んで引き受ける」(スピヴァック)という「戦略」も吟味に値する提案でしょう.
いずれにしましても, 教育の仕組みを構想するときには,関係やコトだけではなく,どこかで実体としてのモノ(たとえば〈能力〉)を素材として想定しないわけにはいきません.そこには恣意性が介入することになるでしょう.したがって,普遍妥当性を鈍感に主張することはないでしょう.それは,歴史的,文化的に特殊な構想であるしかありません.その意味でそれは一種の暫定協定という性格を帯びることになるでしょう.〈真理〉への長い道のりの一里塚などではありえないのです.なによりも,そのような発想を捨てることから出発しなければならない,これが今日わたしの言いたかったことです.
たくさんの???... わたしの欠陥かもしれません.かつてある学会誌に投稿を繰り返したとき,編集委員会から「他人に寄りかかるな!」とお叱りを受けたことを思い出します.懲りずにまたやってしまいました.
【 参考文献 】
Condorcet, “Dissertation philosophique et politique, ou reflexions sur cette question: s'il est utile aux hommes d'etre trompees?"
N.フレイザー/L.ニコルソン「哲学なき社会批判──フェミニズムとポストモダニズムの遭遇」(富山太佳夫編『現代批評のプラクティス−3』研究社出版.
G.スピヴァック『ポスト植民地主義の思想』彩流社.
P.Lather, Getting Smart: Feminist Research and Pedagogy with/in the Postmodern, Routledge.
田原宏人「『教育条理』または記述命題の規範的機能」『札幌大学教養部紀要』44号.
Part 2 冷戦期教育学の遺産
1 冷戦期教育学
第二次大戦後, わが国の再建の道は日本国憲法に集約的に表現されることになります.そして「この理想の実現は, 根本において教育の力にまつべきものである」 (教育基本法前文) とされました.しかしながら,世界情勢の変化にともない東西対立が先鋭化するとともに,当初の改革路線は事実上軌道修正され, いわゆる「逆コース」と呼ばれる状況が出現するに至ります. 宗像誠也による次のような情勢判断はこの時期の政治とアカデミズムの関係を端的に言い表しているといえるでしょう.
「アメリカ教育使節団報告の教育理念,それをだいたい継受し凝集させ,さらに平和を鮮明に打ち出すことによっていわば一層高めたといえる教育基本法の理念は,いまや権力の支持する教育理念ではなくなった.かえって権力に反対する側の支持する教育理念となり,すなわち,教育運動のなかに採り入れられるものとなった,ということである.それは支持者をとりかえてしまったのである.」 [宗像: 18]
こうした政治情勢(認識)はまた,教育にかかわる言説が相対的に独自な領域として自覚を深めていく契機ともなりました.その後わが国で蓄積されていくアカデミック・ディスコースは,通常,戦後教育学と呼びならわされています.しかし,ここでは,いささか曖昧な時代区分にもとづくこの呼称を避け,対立項を意識しつつ,仮に冷戦期教育学という名をそれに与えておきたいと思います.
2 教育の中立性
冷戦期の教育の歩みは対立する教育観に彩られてきたといえるでしょう.焦点は国家の位置づけの問題であり,この問題への取り組みは国民の教育権論と呼ばれる理論と運動を生み出しました.ここでは教育の仕組みの諸形態を〈教育の中立性〉という観点から考察することによって,同理論の特徴を押さえていくことにします.
中立性とは,「その概念からいっても,利害が対立し,諸勢力が政治的に抗争する社会において成立する要請である.国の中にそのような対立と抗争がないところに,そもそも中立の概念は不必要である」 [勝田: 316].教育が窮極的には「子どもの幸福追求の自主的能力の成長に……責任をもつ」 [堀尾 1992: 324] ,つまり善き人生を送ることができるように子どもたちを教え育てることをめざしているのは確かだとしても,「善き生(well-being)」については様々に異なる構想が存在しうるでしょう.さらにこれら善き生についての相異なる諸構想は相対立する政治的選好と結びつくのを常とします.教育の中立性は,一般的にいえば,こうした事態に直面して政治権力に中立的態度をとることを要請する原理として理解されます.この意味での教育の中立性を主張しているのが,今日国民の教育権論として知られる理論です.しかしながら,この理論を唱える論者たちのあいだでも必ずしも見解が一致しているわけではありません.不一致は,教育が個々バラバラな行為としては存立しえない,言い換えれば組織されなければならない,という現代の事実にかかわっています.
3 文化的自由競争論
まず取り上げるのは文化的自由競争論とも呼ぶべきものです.この論は次の二点を前提としています.(1) 国家は教育内容に干渉しない.(2) 文字通り無党派的で中立的な教育は存在しない.この場合,あるいは善き教育についての諸構想が乱立し収拾がつかなくなり,公教育が成立しえなくなるのでは,と懸念されるかもしれませんが,そうした危険性は文化的自由競争によって回避されうるとこの論は主張します.なぜなら,「あくまで国民個々人の自由な活動の結果が全体としておのずから一定の社会的まとまりを示す」 [兼子: 212]と考えられるからです.
しかしながら奇妙なことに,この論が対抗している当の相手方であるはずの政権担当者の側にも同じような主張が見られます.「『やるべきである』,『やった方がよい』と提案されているようなことは,それを主張する人々自身の信念と自己責任において,自由に『やってみることができる』…….いずれが真に人々に支持されるかは,結局のところ『市場が判定を下してくれる』ことになるであろう」 [大蔵省財政金融研究部編: 92-93]というのがそれです.
自由競争市場において,一方は自分の望む「善き教育」が選ばれるであろうと予想し,他方はその同じ市場で彼の「善き教育」は淘汰され,我が「善き教育」が生き残るはずだと確信しているわけです.このように,「一部の偏った政治・宗教教育が放任されるとしても,全体として自由で自主的な教育を達成することのほうが,生徒に充実した教育を与えるために重要である」 [戸波 1990: 161] と考えるとき,そこでは政治権力が誰の立場にも味方しないし敵対もしないという形で中立性が理解されている,とみなすことができるでしょう.短く言いなおせば,多様な善き教育の諸構想にたいする公権力による一切の差別的取扱いの禁止,です.つまり,この議論によれば,諸個人の私事としての善き教育の追求の自由競争を保障することが公共的関心に合致するとして正当化されるのです.
4 教育の自律性論
教育の自律性をめぐる以下の議論は,わが国の教育運動においては文化的自由競争論とともに国民の教育権論として一括されているようですが,実は前者は後者の結論を否定するところから出発しているという点で区別されるべきであるとわたしは考えます.
現に,いわゆる国民の教育権論者たちのあいだにも,市場原理/自由競争にたいする現実的および原理的な疑念が存在しています.
「……別に制度として拘束されていないのに,テスト用紙が大量に学校にはいっている現状を考えると,よい教科書でありさえすれば,自由競争で『悪貨』を駆逐できると考えるほど楽観的にはなりにくい.……『自由競争』というものが,そのことばの意味通りに存在しえない社会で,そのことに望みを託すのはなんといっても非現実的である.」 [勝田: 515]
さらに,「親に教育をまかせるということは,親の偏見に子どもをゆだねることになるという危惧が当然出て」くるし [堀尾 1975: 21],「教師のすべてが」善き教育の諸構想の対立について自由に考え自由に決定しうるという「能力をもっているわけではないということも事実で」ある [勝田: 305]からです.
このように自由には絶えず危険がともなっています.にもかかわらず,教育は権力からの独立という意味における中立性を要請します.というのは,この中立性によって保障される自由はそれ自体として危険を含んでいるけれども,その危険は,権力が中立性を破った場合に生じうる危険と比較した場合には,「教育の全体に対して,どれほど小さな危険かは容易にわかる」 [勝田: 315]からです.つまり,危険性の度合いがより小さいというのがその理由の第一です.第二に,より積極的な理由として,市場原理に委ねるのではなく,同意を調整する可能性が持ち出されています.そして,この可能性の根拠として言及されているのが教育の自律性であり,またそれを保障するものとしての教育的価値です.
「……国民の文化的内容や知識や技術の客観的価値というような教育の自律性と関係する領域がある.このような条件を媒介として,同意を調整していくことを全面的に否定するのは現実的態度ではない.基本的対立は解消されなくても,変様し,相対的な安定が成立する可能性がある.」 [堀尾 1992: 328]
「文化価値は……子ども・青年の人間的成長に役立つ限りにおいて……教育的価値としてとらえなおされる.その意味において,教育的価値は,子どもの人間的成長を促す内容,および,発達を促すための方法(技術)を含んで成立する.……この教育的価値の視点こそは,教師の専門的力量を規定し教育の自律性を内在的に保障するものである.」 [堀尾 1991b: 17-18]
ここにおいて重要なのは,「基本的に幸福追求の権利と教育との結びつきが,信仰や基本的な価値選択と一応離れて可能である」 [堀尾 1992: 330] という認識です.つまり,ここで述べられている教育的価値とは,「善き生の諸構想の対象をなす価値ではなく,善き生の構想を自ら発展させ,それに従って自己の生を形成できる諸個人の能力の養成と保護,およびそれに必要な資源・環境の公平な配分と整備に関わ」 [井上: 92] っているといえましょう.要するに,「教育的価値の実現によって,人間的諸価値の実現も果たされる」 [堀尾 1991b: 18] と考えるのです.したがって,教育の自律性論は,善き生・善き教育の諸構想にたいして国家が中立であることを求めますが,しかしそれは「どんな教育をしてもよい」という放縦の謂ではありません.何びとといえども,この教育的価値の実現に抵触することはけっして許されません.このゆえに,「教育は,権力に対して自律を要求すると同時に,子どもや親たちに対してもまた……自律的なのである」 [堀尾 1992: 327] とも主張されることになります.
5 私事の組織化としての公教育
こうして,国家の干渉から独立したという意味において教育を私事とみなしたうえで,この私事としての教育を,教育的価値を肉化していると想定される教育の専門家=教師に委託するという形で共同化することを通して,新しい公共性=公教育が創出されるとする考え方,すなわち私事の組織化としての公教育という理念が生み出されることになります.
私事の組織化としての公教育は,国家がおこなう教育を公教育とみなす考え方を否定すると同時に,他方それは私事の総和をもって公教育と認定するものでもありません.それの正当化根拠は教育的価値に由来しています.この意味において教育的価値は公共的価値です.それにたいして諸々の特定の善き教育の構想の対象をなす諸価値は非公共的価値であるということになります.そして肝要なのは,教育の組織化の正当化原理として採用される資格をもつのは前者であって後者ではないという点です.
6 暖簾に腕押し
堀尾輝久は,1960年代から今日にいたるまで,とりわけ冷戦期教育学の基礎を築いた勝田守一(1908-1969) や宗像誠也(1908-1970) が相次いで没した1970年代以降, わが国の教育学界にもっとも影響力をもつ研究者のひとりであるといって差し支えないでしょう.無論, 彼の学説にたいして幾度か論争が挑まれてきましたが,奇異なことに, また論争を挑んだ当人たちにとっては不本意なことに, ついぞ彼は正面からそれらに対峙する姿勢をみせたことがありません.批判はすでに自説のなかに折り込まれているという回答のパターンはいつも概ね同じです. 論争が進展をみせないのは, 思うに堀尾理論が, 巷間信じられているようにはコンシステントなものではないというところに起因しているのではないでしょうか.つまり,そこには異質な要素が無意識のうちに併存しているとするなら,暖簾に腕押しとでも形容すべきこの焦れったい事態は説明がつくのではと思うのです.以下, 彼の主著『現代教育の思想と構造』 (初版は1971年. 1992年に岩波同時代ライブラリー版) の検討をつうじて,これらの要素を教育的価値独立説と人類的価値普遍主義として提示してみます.
7 教育的価値独立説
私事の組織化としての公教育を理論化したのは堀尾輝久の業績です.それはすぐれてリベラルな発想にもとづいています.すでに述べたように, この理論において重要なのは, 教育という営みが個々人の善き生にとって直接的な意味をもつ価値選択と離れて可能であるという認識です. つまり,教育的価値とは「善き生の諸対象をなす価値ではなく」, いかなるものであれ善き生の構想を追求しうる主体的および環境的条件にかかわっている.あくまでも教育的価値の実現ニヨッテ人間的諸価値の実現も果たされるのです.
したがって,ある教育要求や批判が正当であるか否かは,それが教育的価値=公共的価値にもとづいているかどうかによってテストされなければなりません.つまり,その対象となっている教育が善くないからではなく,正しくないからだという理由が示される必要があり,それで十分なのです.逆にいえば,そこにおける同意の事実上の成否は必ずしもそれらの要求や批判の論理的正当化を左右するものではないということになります.
8 人類的価値普遍説
堀尾は『思想と構造』の2箇所でブラメルド(Theodore Brameld)の所説を参照するよう読者に促しています.
まず,教育とインドクトリネイションと宣伝との区別について述べた本文への註のなかで,「三者の関係について示唆にとむ」 [堀尾 1992: 356] ものとして, 次いで, 「社会的同意(social consensus)について……参考になる」ものとして,ブラメルドの著書 Toward a Reconstructed Philosophy of Education が挙げられています. 二番目の註が付されている堀尾の本文は次のとおりです.
「社会的同意は, マス・コミによってつくられたり, 表現されたりする『世論』のことではない.教育上の偏向といわれるものが, 権力によってつくられる『中立性』によって偏差ないし異端として押し出されるのは周知の通りだが, それを支えるのは, やはり国民大衆が『公正』へのある愛好をもっているからである.もちろんこの『公正』には, 不動な基準はない.この『公正』への感覚を, 歴史的に蓄積してきた諸価値, 人権, 科学的知性, 平和などの思想と現実的に結合することによって, 社会的同意の水準が高まるのである. それらは, 教育的価値に内在的につながるのであるが,しかし,それが大衆の生活の現実の文脈の中でいきいきととらえられないかぎり,教育的価値に対する社会的同意は発展しない. この社会的同意の水準を, 小さい組織から高めていくことによって, 『世論』が少しずつ傾斜しはじめる.このばあいに,教育的価値を直接守るのは, 世論ではなく, その高められた社会的同意の水準なのである.」 [堀尾 1992: 362]
このテクストにおいて,「社会的同意」は「教育的価値」とのかかわりで出てきています. しかし,この「教育的価値」は他の諸々の価値と「内在的につなが」っています. ここに教育的価値独立説からの逸脱の徴候がみえます.ブラメルドの名がはじめて登場した註のなかでもすでに次のように述べられていました.
「しかし,教育的価値は, その他の人間的諸価値との関係の中でとらえられることが必要であり, したがって, つねに教育的価値を他の価値に優先させる独善は許されない. たとえば,宣伝と教育の連関にしても, さしせまった政治的状況の中で, 宣伝が教育に優先することはありうる.……しかし,ここでも,宣伝を教育に転化させる努力がつねに伴われなければならないであろう.」 [堀尾 1992: 355]
諸々の価値を溶かし混まれ一種のアマルガム状になった「教育的価値」は, したがってそれを「守る」べく想定されている「社会的同意」もまた,明らかに, 善き生の追求に直接かかわっています.「社会的同意」のもつこの機能をブラメルドは端的に「目標追求と未来創造(goal-seeking and future-making)」[Brameld: 93] と呼んでいます.彼によれば,「目標追求は近代人の決定的特徴であり, それゆえわれわれの社会に根本的な諸目標は明確に特定されうるし, またされるべきである」[Brameld: 93] のです.さらに,これらの「諸目標がたんに個人的なものであるばかりか,共有されるものである」ということを知ることによって,「社会的合意の実践性は増進する」[Brameld: 100]と述べられます.そして,「目標」の共通性の保証は,「有機的実体(organic entity)」[Brameld: 290)である「集団精神(group Mind)」[Brameld: 121] に託されています.
次の引用は, 教科論にかんするブラメルドの記述ですが, これは彼の合意形成論全体を支えているポステュレートでもあります.
「出発点は人間の類似性(human similarities)──地球上のどこでも類似している人々の目標追求インタレスト──であるべきだ.いったん,これらの類似性が合意され,それが教育設計 (文化的にディシプリン化された設計であることに注意) に組み込まれたら, そのときにはわれわれわは,その設計の成就に究極的に貢献しうる, また貢献すべき個別性の諸々の要素(elements of individuality)──集団的型からの偏差──を励ますことのできるもっと好位置に立っていることになる.」[Brameld: 286]
これが彼の言うところの個人的差異にたいする「斬新な(fresh) 解釈」[Brameld: 290]の中身です.
以上のようなブラメルドの議論に近親性を有するかぎりにおける堀尾の議論を人類的価値普遍主義と呼ぶことにします.
9 アンチノミー
堀尾の教育的価値独立説と人類的価値普遍説とは二律背反的関係にあるといえるでしょう.なぜなら,前者は「正」に, 後者は「善」にプライオリティを認めるからです. 前者は「善」にたいして禁欲的, 後者は意欲的に取り組むからです. 前者は個人の多様性をそれ自体として認定するが,後者は多様性のなかに類似性を見いだしうると主張するからです.すなわち, 「生徒間の諸々の差異は, 重要ではあるけれども,行為と目標についての合意された類似性のもつ体系化され厳密に整えられた型の内部に包み込まれる. ……人は『集団精神』にアイデンティファイされるが, しかし『集団精神』によって創造的に distinctiveであることを励まされもするのだ」[Brameld: 290]と人類的価値普遍説は主張します.この場合には,ある教育要求や批判の正当性は,それが追求されるに値する目標・対象的価値に合致しているかどうかにかかってくることになります.「父母同士が話し合って,自分の要求〔が〕みなの要求」 [堀尾 1989: 111] になっているかどうか, すなわちそこに合意が形成されているかどうかが決定的に重要となってきます.それが教育的価値に合致しているというだけではもはや必要十分ではありません.
このことの含意は,堀尾の教育的価値独立説的側面をマルクス主義の立場から鋭く批判した持田栄一の主張と,それにたいする堀尾の返答を読むことによってより鮮明に浮かび上がってきます.持田の批判は概ね次のようなものでした.
たとえば,私事の組織化としての公共性論は, 「国家主義的公共性論と対立し,同時に素朴な個人主義を超え,民衆的基盤に立つ新しい共同性・公共性」 [堀尾 1991a: 216]を提供すると説きます. けれども,現実の公教育は, 「市民社会における私的個人の『私事』としての教育の秩序を『国家』が保障する体制」 [持田 1979: 40]です. にもかかわらず, 「前者に依拠して後者を撃」 [持田: 62] とうとするのは社会科学的にみてナイーヴにすぎるではないか, と.すなわち, 教育の公共性を担うとされている教育的価値は, それ自体, 抽象的・理念的であることによって, 総資本としての国家にとって実質的価値として機能しており, その意味で私事の組織化としての公教育は国家にとっての「善き」教育だ,というのが批判の要点です. それにたいして,持田の提唱する社会共同の事業としての教育における公共性は, 「教育が地域における勤労住民の共同の利益として運営されること」 [持田: 442]として把握されています.言うまでもなくこうして運営される教育の中身は濃厚な価値性を帯びることになります.
ところが,批判を受けた堀尾は,組織化され変質した私事の内容は, 持田のいう「共同利益」と重なるものだと応酬しています [堀尾 1961: 28].堀尾の側からみれば,この一致を可能にしているのは,彼の人類的価値普遍説の論理のほうなのです.この論理によれば,選択され追求されるべきは真の善き教育である,ということになります.しかし,彼の教育的価値独立説の観点に立てば, 勤労人民の共同利益が組織化された私事の内容と重なることは, 偶然にはありうるかもしれないけれども,論理的にはありえないはずです.なぜなら,ほかでもありません,私事の組織化が可能なのは, 「幸福追求の権利と教育との結びつきが……基本的な価値選択と一応離れて可能である」という認識を前提としていたからです.
10 冷戦期教育学の遺産
堀尾の目には,諸々の批判は wishful thinking にもとづいていると映っているようです. 彼が二種類のモビルスーツをもっている以上, そのことは理解できないわけではありません.けれども,彼の自己評価もまた wishful thinking にもとづいているのではないでしょうか. なぜなら,その二つを同時に身にまとうことは不可能であるということに彼自身気づいていない(ように見える)からです.どういう形においてであれ──一方を他方によって基礎づけるとか,特殊と一般とか──この二つのどちらかを他方に埋没させれば,それは理論の自殺を意味します.
あるいは, ひょっとしたらそんなことはとっくに気づかれていたのかもしれません.むしろ,冷戦期を支配していた対立構造と, そのなかで陰に陽にささやかれていた「政治的配慮」が作動したのかもしれません (「さしせまった政治的状況の中で, 宣伝が教育に優先することはありうる」!).はたまた…… これ以上の詮索をしている暇はありませんし,その必要もないでしょう.いずれにしても, 起こりうべき論争は起こらず終いであったのです.この事実を確認し, ひとまず堀尾のアンチノミーを冷戦期教育学の遺産として受け取っておいて,先へ進むことにします.
【 参考文献 】
井上達夫「公共性の哲学としてのリベラリズム」森際康友・桂木隆夫編著『人間的秩序』木鐸社, 1987.
大蔵省財政金融研究部(竹内靖雄チーム)『ソフト化社会の家庭・文化・教育』大蔵省印刷局,1986.
勝田守一『勝田守一著作集』第2巻,国土社,1973.
兼子仁『教育法〔新版〕』有斐閣,1978.
戸波江二「教育における中立性」『日本教育法学会年報』第19号, 1991.
堀尾輝久「教育の私事性について」『教育』1961年11月号.
───『教育の自由と権利』青木書店, 1975.
───『教育入門』岩波新書, 1989.
───『人権としての教育』岩波書店(同時代ライブラリー)1991a.
───『人間形成と教育』岩波書店, 1991b.
───『現代教育の思想と構造』岩波書店(同時代ライブラリー)1992.
宗像誠也『教育と教育政策』岩波新書, 1961.
持田栄一『教育行政学序説──近代公教育批判』明治図書,1979.
Brameld, Theodore, Toward a Reconstructed Philosophy of Education, New York: The Dryden Press, 1956.
Part 3 近代教育再考
1 アルケオロジー
この項で扱うのは, 森重雄の次のような表現によって端的に言い当てられるようなアプローチです.
「こんにち私たちが〈教育〉という言葉で自明視している,しかしそのじつ定義しがたい,けれども知っているような感じがして,その感じをたよりに目線を送っている,あの生(あるいは生活,生活世界,生活構造)の一部分.この部分を〈脱構築〉するために,そこに歴史がかったエスノメソドロジー的視線を差し込む……」 [森: 13]
〈脱構築〉という耳慣れない熟語は哲学者デリダの用語ですが,ここではその「二次的」意味において使用されています.つまり,「実証的ないしは社会学的な事実確認」によって, 「事実にたいする観念の支配を解除する」ということです [森: 5, 120] .王様は裸だと叫ぶことによって,変だという感覚を引き起こし, 王様=権威を宙づりにしてしまうことだ,と言ったら少しはイメージがわくかもしれません.ただし,あくまでも実証ですから, 脱構築家には,子どもの眼差しのほかに, 職人の技も必要になってきます.それが「歴史がかったエスノメソドロジー的視線」です.これについては森自身の説明をそのまま引用しましょう.
「ここで,『エスノメソドロジー的視線』とは,おおよそ日常的自明性によって隠された, しかし隠されることによって当の日常的自明性を成りたたせている構造(ないしは条件,制約,規範など)の発見を志向するアカデミックなまなざしを指している.それゆえ『歴史がかったエスノメソドロジー的視線』とは,歴史的な相対化をつうじて右の構造を発見しようとするアカデミックなまなざしのことである.ちなみにフーコーの言葉を用いれば,これは端的に考古学(アルケオロジー) である.」 [森: 122]
「自明性によって隠され」つつ「自明性を成りたたせている構造」は,これもフーコーの言葉を借りれば「前概念的」なものにほかなりません. 森の言う「構造」, フーコーの言う「前概念的」なものとは,
「歴史の根底から由来する一つの地平を素描し, 歴史を貫いて自己を維持する代わりに, 反対に, もっとも『表面的な』レヴェルにおいて(言説のレヴェルにおいて),そこに実際に適用される諸規則の総体である.」 [フーコー: 95]
したがって, 教育のアルケオロジーと従来の教育史との決定的なちがいは, 後者が〈教育〉なるものの発生と発展を時系列的に追うのにたいして,前者は〈教育〉という用語とそれをめぐる言説が時代によって帯びる意味作用の断絶を重視するという点にあります.理念の現象形態の変遷を辿ることと,言葉と言葉を衝突させることによって自明性の殻を打ち破ることとのちがいです.近代という時代における〈教育〉の自明性を, アルケオロジーはどのように暴き出してくれるのでしょうか.
2 〈教育的〉の誕生
広田照幸は,戦前期の教育雑誌をたんねん調べ,そこに「教育的」という語が出てくるたびにそれを数え上げています.根気はいるにしても一見すると他愛ない作業です.こんな作業を試みた者はこれまで一人もいませんでした.彼はどうしてわざわざこんなことをやったのでしょうか.以下,広田の2本の論考[1990; 1992]を読んでみることにします.
2-1 殺し文句としての〈教育的〉
学校事故や事件が起こるたびにマスコミに登場する校長や教育委員会当局者の談話には,たとえば「教育的見地から望ましくない」, 「教育的な見地からもあってはならない」等々, 〈教育的〉が連発されています.
「そもそも,現代においては『教育的』という語は, 『教育的視点から見て問題がある』とか,『これは教育的だ』『これは教育的でない』等, 一種のうむをいわさぬ規範性を帯びて用いられることが多い. 必ずしも法規や規則に照らして違反が確認されない場合にも『教育的』は〈超法規的な〉基準を指示するのである. ……すなわち, @あたかも望ましい規範が共有されているかのような語として存在しつつA恣意性・無限定性(どんどん拡大解釈されてゆく)を持った『教育的』が,われわれの日常生活の中で使用されているわけである.」 [広田 1990: 44]
このように〈教育的〉は一種の「殺し文句」として流通していると言ってよいでしょう.いつ〈教育的〉は誕生し,いかにして今日の力を獲得するまでに成長したのか,これが広田の初発の疑問であり,この疑問は次のような作業仮説を生むことになります.
「おそらく,『教育的』の語の歴史の背後には,近代に特有な合理性と正当化の形式を備えた〈教育の離床〉(森重雄)が存在している.かっての社会のような,教育が社会の再生産の〈機能〉として共同体の中に埋め込まれていた形態から,意図的で組織的な教育への転換──いわば〈教育〉の自覚化・言説化──,さらには政治や経済とは異なる独自の価値と自立性を有する領域として教育が考えられるようになるという転換──〈教育〉の自律化と自明化──のプロセスが,〈教育的〉の語の成立と展開を生み出したということができるかもしれない.」 [同: 44-45]
2-2 〈土俵〉
広田のこの問題意識はまさしく考古学的です.眼差しは「前概念的」レベルに注がれており,そして,フーコーが思考の〈台座〉と呼んだものは, 広田によって〈土俵〉と名づけられています.
「進歩対反動であれ,国家対運動であれ,『対立』が論理的に構成されうるということは,多くの論者や読者が共有する思考や言説の枠組みのレベルが存在していたことを示している.『AかBか』といった選択肢をめぐる争いは──例えば昭和初期に盛んに議論された,学力による選抜か内申書による選抜かといった論争は──すでに意思の疎通が可能な教育学的諸概念(能力・個性等)と,選択肢が存在しうる〈土俵〉(選抜システム等)との存在論的な承認の上に初めて成り立ちうる.」 [広田 1992: 253]
こうして広田は,「言説や実践をそういうものとして成り立たせている〈土俵〉が構成されてくる部分に注目」 [同: 253-254]していきます.ここまでのところから,広田の研究は欠落を埋めることによって,従来の教育史を一歩完成に近づけるといった類のものではないということが見えてきます.それは,寄ってたかってその欠落を産んできた教育史研究の主流を向こうにまわそうとしているのです.
2-3 〈教育的〉の使われかた
これについては広田の論文に直接あたっていただくのが一番です.ここではその一部しか紹介することができません.
わが国の代表的な教育雑誌『教育時論』における〈教育的〉の出現頻度をみてみると,1880年にはわずか2例のみでしたが,
「1900年になると, 使用例が急増する(27例)とともに,1機械的な翻訳語(『教育的心理学』等)として,2「の/に関する」の意味で日本人が自分の文脈に則して使用する語として,3「教育に役立つ/教育効果を持った」といった価値的・規範的ニュアンスを含んだ語として,三種類の『教育的』が存在していた.次いで1910年になると『非教育的』という言い方が登場する.また,引き続き使用頻度が増加していく(75例)とともに,『の/に関する』の意味での『教育的』の比率が減少し,規範性を帯びた使用例が急増していく.こうした傾向は1920年にも進行し,1930年には規範性を帯びた『教育的』が圧倒的に多くなる. また, 『教育的だ』『真に教育的』といった言い方が登場してくる. 」 [同: 258]
以上の動向から,「『教育的』は,明治後半期にアカデミズムから流れ出し,その後現場の諸実践の指針を示す規範性を帯びた概念として多様な言説に組み込まれていったとみることができる」 [同: 260-261]という結論を広田は引き出しています.
2-4 閉塞しつつ増殖する
いったん市民権を得た〈教育的〉は,〈政治的〉〈国家的〉などから自立するとともに,自律性を高めていくことになります.たとえば,「常に外在的な価値によることなく,個人のもつ個性がそのまま伸びることが人間にとって真の発達,成長であるということを基盤とすることが,教育の独自の立場である」(下中弥三郎 (広田 1992: 262所引))とか,「教育は政治よりも, より深い境地であり, 従つて, より本質的である」 (野村芳兵衛 (同前所引))という具合に.ここにおいて,教育は「教育固有の論理と価値に基づいて扱われるべきである」 [同: 263]ということが前提視されるにいたっていると言うことができるでしょう.
広田は,教育言説の基本構造の特徴を,(1) 教育言説が〈教育的なるもの〉によって根拠づけられるというトートロジカルな論理構造に支えられている, (2) 政治的価値判断と無縁ではない教育言説間の対立が,どちらがより〈真に教育的〉かという外貌を呈することにより,いずれの言説も〈教育的なるもの〉の〈聖化〉に貢献する,という2点に要約しています [同: 265].そして,この言説空間の成立によってもたらされたのが「教育の〈自己増殖〉とでも呼ぶべき」事態です.それは, (1) 教育過程の自己目的化(教育のためなら何でもあり)と,(2) 格別に教育を意図しない領域への拡張(非教育的なテレビ番組)という形をとって現れてくることになります [同: 266-267].
3 閉塞/増殖のメカニズム
広田から離れて,このように閉塞しつつ増殖を遂げる教育言説のメカニズムについて私見を述べておきたいと思います(クワインを敷衍する大庭健の議論 [大庭: 132-142]から示唆を得ています).
「真の教育」の「内容は言説の中で具体的に明示されないことが多い」 [広田 1992: 264] とはいえ,それは,《 P{P1, P2, ..., Pn }ならば〈教育的〉である》という構造をもっているはずです.そこでいま事態Aについて, 甲が,Aは教育的であると言い,乙は非教育的であると異議を唱えているとしましょう.
この場合,甲の対応には三つの選択肢があると考えられます.第一は,乙の観察はいい加減だと突っぱねる,というものです.しかし,乙の観察を妥当と認めるなら,P1〜Pnのうち少なくともひとつが正しくないということになります.そこで,第二の対応として,P1〜Pnのなかで,さほど執着しない特定のPiをはずし,教育的でないとは高々Piでないということを意味しているだけだと受け流し,新たなPiと入れ換えるという手法があり,さらに第三に,新たにPn+1を追加するという手がありうるでしょう.つまり,《P1かつP2かつ…かつPnならば教育的であるが,P1かつP2かつ…かつPnかつPn+1ならば教育的でない》とするわけです.これは,《教育的であるならば,P1〜Pn+1のうち少なくともひとつが正しくない》ということでして,そのひとつをPn+1と特定すれば, Pn+1でないということが教育的であるための前提となります.Pn+1の例として, たとえば,集合『平成教育委員会』における要素「ビートたけし」を想起してみるといいかもしれません.
このように末端部分の手直しと拡張を重ねることにより,システム全体の攪乱を最小限に抑えることが可能となります.〈教育的なるもの〉をめぐるヘゲモニー争奪戦がこのプロセスを遂行しているのです.ただし,そこには失ってはならない基本的な前提が存在するということを忘れてはなりません.〈教育は固有の論理と価値をもつ〉というのがそれです.この大前提が疑われるまでは,〈教育的なるもの〉は閉塞したままで膨張を続けるべく運命づけられているともいえるでしょう.
広田の分析は直接的には戦前期を対象としたものですが,その結論が今日でも説得力をもつということは直ちに実感することができます.安易な一般化は避けねばなりませんが,〈近代教育〉という透明な物語が, 広田の投じた光線のコントラストのなかに浮かび出てきたということは確認しておきたいと思います. いずれにしても,自明性が失われたとき,「近代的なるものはもはや理想的な目標であることをやめて,まだよくわからない何ものか,追求すべき何ものかとなった」 [森田: 9]のです.
【 参考文献 】
大庭健『はじめての分析哲学』産業図書, 1990.
広田照幸「〈教育的〉の誕生」『アカデミア』(南山大学)人文・社会科学編, 第52号, 1990.
───「戦前期の教育と〈教育的なるもの〉──『教育的』概念の検討から」『思想』No.812, 1992.
M.フーコー(中村雄二郎訳)『知の考古学』(改訳新版)河出書房新社,1981.
森重雄『モダンのアンスタンス──教育のアルケオロジー』ハーベスト社, 1993.
森田伸子『子どもの時代──『エミール』のパラドックス』新曜社, 1986.
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