それはずばり、実力がものをいう世界だ。それまでのキャリアや年齢に関係なく、実力だけが頼りである。当日そこで失敗したら即、誰であろうと入選から漏れてしまう。ひじょうに厳しい。
ここは出場者の最前列だ。舞台をにらむ特等席だが、当人には「地獄の一丁目」にあたる。
コンテストは、2部門に分かれている。AコースとBコースである。どちらを選ぶも、苦労である。日本語の文案作成、ロシア語の翻訳、暗記。質疑応答の準備。そしてもう一つ、ロシア語詩の暗記。練習に疲れた挙げ句の果てに、いやだ、こんなはずじゃなかった、とな。よくあることだ。途中で降りるのは簡単だ。「止めた」「終わりにしよう」それだけだ。
だが..苦労の値は、表彰の有無に係わりなく、演壇に立ったものに等しく分け与えられる。どんなことだって、無駄なものなどない。必ず報われる時がやってくるのだ。
A部門の表彰風景。
今回は小学校4年生の出場があった。会場は大いに驚き、そして彼女の話しに耳を傾ける。ハリコフに住まいした家族の交流記である。こんな小さな子どもが。しかも、りっぱなロシア語だった。大会出場の最年少記録を塗り替えたそうだ。
ロシアでは時代が確実に変わりつつある。いや、日本でもロシア語の担い手がさま変わりしているじゃないか。
1997年11月22日 日本ユーラシア協会主催
第29回全道ロシア語弁論大会にて(文責 山田)