<!--This file created 98.9.25 9:13 PM by Claris Home Page version 2.0J--><HTML><HEAD>   <TITLE>shin20japanese</TITLE>   <META NAME=GENERATOR CONTENT="Claris Home Page 2.0J">   <META HTTP-EQUIV="Content-Type" CONTENT="text/html;CHARSET=x-sjis">   <X-SAS-WINDOW TOP=42 BOTTOM=613 LEFT=4 RIGHT=534></HEAD><BODY background="../picture/wallpaper/cd-rom/grain/w.grain.02.JPG"><P><CENTER><B><FONT SIZE="+2"COLOR="#AF0000"><A NAME="アンカー"></A></FONT><FONT SIZE="+2"FACE="平成明朝" COLOR="#AF0000">友達のような関係</FONT></B></CENTER></P><P ALIGN=RIGHT><FONT FACE="平成明朝">１年寺田　紳</FONT></P><P><FONT FACE="平成明朝">　</FONT></P><P><FONTFACE="平成明朝">　最近、少年たちの大人に対する犯罪が増加している。先日、栃木県の中学校で起きた女性教師刺殺事件についてマスコミに大きな衝撃が走った。少年犯罪を考える上で大人と子供の観点から見つめ直す必要がある。</FONT></P><P><FONTFACE="平成明朝">　親子関係について最近、友達のような親子が存在している。子供は自分たちも大人であると錯覚し親と子供とがボーダレス状態になる。結果、親の威厳が失われ親が子供の生活を規制できず、親子関係で大きな問題を生じるのである。</FONT></P><P><FONTFACE="平成明朝">　友達のような親子関係が影響しているものに、子供の考えを立派な意見とし尊重しすぎていることがあげられる。しかし、マスコミ報道による中高生からの少年犯罪についての意見をみれば、子供たちが受験、学校、親に対して愚痴を言っている。中には犯罪者への理解を示すものもある。それらの愚痴を確立した意見として扱っている大人に残念さを感じる。まだ発達過程にある中学生の意見を重要視して良いのだろうか。社会的責任を果たしている大人の意見はどうなるのか。</FONT></P><P><FONTFACE="平成明朝">　子供を大人として見なすことにより、または彼らの意見と要求に過剰に答えると、子供に彼らの考えを強いることや、彼らを規制する事を避けるのは容易になる。親が子供をしかるとき、親は最後の手段である体罰を行使しても子供に考えを理解させるべきである。</FONT></P><P><FONTFACE="平成明朝">　幼少において親による強制、親が本気で怒っている姿を見ることのなかった十代の少年少女たちは親の手に負えない存在となる。彼らは親に対して不遜な態度を取ったり極端に言えば家庭内暴力など様々である。親が子供をコントロールできなくなったとき子供の意見を聞いて問題解決など無駄である。そのような場合、親は子供をコントロールするためにより直接的な手段をとる。それは親が金属バットで息子の人生を終わらせるという悲しい結末かもしれない。親を含め大人は子供の考えを理解できないものである。また、子供も親の考えを理解できないものである。その時、大人がしなくてはならないことはリーダーシップにより子供の正常な発達を促さなければならないことである。なぜなら、大人は子供の人生の先輩であり、多くの体験をしてきたからである。</FONT></P><P><FONTFACE="平成明朝">　マスコミは校内暴力が増加していると報道している。教師は生徒からの尊敬の念、権威を失っている。教師に対する尊敬の念、権威が失われた理由は教師、生徒、親との三角関係が崩れたことにある。例えば、教師が生徒を注意するが、生徒は親に自分の正当性を告げ、親は子供の不正を無視し、教師にクレームをつける。教師は親からの圧力により謝罪しなくてはならない。これが指し示すものは親が子供のために教師を支えてきた過去における構造が崩壊したことである。現在、親と生徒が教師に敵対しているように思える。</FONT></P><P><FONTFACE="平成明朝">　教師の行動を制限しているのは親たちだけではなくマスコミも関与している。マスコミは自由、人権を過度に主張し学校の事件に対する対応を逐一批判する。栃木県の事件において仮に教師が生徒を殴り、ナイフを生徒から取り上げていたら、マスコミは教師のしたことを体罰として、そして教師が生徒の私物を奪ったという重大な人権侵害として批判していただろうと思う。マスコミは教師は生徒と向き合わなくてはならないという教師の何よりも重要な任務を無視している。</FONT></P><P><FONTFACE="平成明朝">　学校教育は地域社会、最も広い意味では世論の支持がなくては成立しないことを認識しなくてはならない。その認識をなくして学校の無策ぶりを批判することはナンセンスである。ご存じのように、マスコミは学校による生徒の持ち物検査をすべきか否かについて論議している。世論の許可の伴わない学校の生徒指導はマスコミの批判の的になるだけである。まず、教師は生徒、社会に向き合わなくてはならない。批判され支持者のいない学校は社会に謝罪するしかない。現在の学校の状況をマスコミを通してみている生徒からは教師はかつてのこわい存在ではない。この状況を打破するために教師には社会的権威が与えられるべきである。</FONT></P><P><FONTFACE="平成明朝">　少年犯罪の増加は大人の威厳が失われつつあるのと同じく大人と子供との差が消えたことにある。問題克服のため多くの社会的困難を乗り越えてきた大人と未熟である子供とを区別し始めるべきである。そして、大人は子供を人間として育てることを考えなくてはならない。子供を人間として育てるために大人は子供の模範となり、子供を確固たる意志のもとにリーダーシップを発揮し子供を人間として育てなくてはならない。少年犯罪を考えるとき社会的背景を考慮する必要がある。だが、もっとも重要なことは正常な大人と子供の関係は何かをもう一度見つめ、大人と子供との関係を変えなければならない。</FONT></P><P><CENTER>　<HR SIZE="5"><FONTSIZE="+1"><A HREF="../20english/shin20english.html#アンカー"><IMGSRC="../picture/botton/cd-rom/b.eng.01.GIF" WIDTH=127 HEIGHT=28X-SAS-UseImageWidth X-SAS-UseImageHeight ALIGN=bottom></A></FONT></CENTER></P><P><CENTER><FONT SIZE="+1"><A HREF="../20english/no.20menu.html"><IMGSRC="../picture/botton/cd-rom/b.topics.01.GIF" WIDTH=127 HEIGHT=28X-SAS-UseImageWidth X-SAS-UseImageHeight ALIGN=bottom></A></FONT></CENTER></P><P><CENTER><FONT SIZE="+1"><A HREF="../index.html"><IMGSRC="../picture/botton/cd-rom/b.index.01.GIF" WIDTH=127 HEIGHT=28X-SAS-UseImageWidth X-SAS-UseImageHeight ALIGN=bottom></A></FONT></CENTER></P></BODY></HTML>