<!--This file created 00.9.30 2:21 PM by Claris Home Page version 2.0J--><HTML><HEAD>   <TITLE>iwasa27j</TITLE>   <META NAME=GENERATOR CONTENT="Claris Home Page 2.0J">   <META HTTP-EQUIV="Content-Type" CONTENT="text/html;CHARSET=x-sjis">   <X-SAS-WINDOW TOP=42 BOTTOM=613 LEFT=4 RIGHT=534></HEAD><BODY BGCOLOR="#E7E7FE"><P><CENTER><FONT COLOR="#180D01">有珠山噴火を体験した私の家族</FONT></CENTER></P><P ALIGN=RIGHT><FONT COLOR="#180D01">1年　岩佐直子</FONT></P><P><FONTCOLOR="#180D01">　2000年3月31日午後1時8分有珠山は23年ぶりに噴火した。私の実家は有珠山の麓の虻田町にある。私の家族は今回の噴火の被害を受けたので、そこでのつらい生活状況を報告します。</FONT></P><P><FONTCOLOR="#180D01">　28日から体に感じる火山性地震がひどくなった。翌日、消防署の避難せよとの指示によって、私と母は二人で虻田中学校に避難した。父は消防署勤務のため、中学校へは夜泊まるだけに来た。姉は地元を離れて働いているためいなかった。30日に町内で一人暮らしをしている祖母も避難所にいる私と母の元へ来た。しかし、大地震が続き中学校の校舎に亀裂が生じたので、私たちは虻田高校に移動することになった。</FONT></P><P><FONTCOLOR="#180D01">　翌31日の午前、私は大学の入学式が近づいていたので札幌へ向かうため洞爺村の叔父が迎えに来てくれた。この日の午後に有珠山は噴火し、虻田が危険になったので三カ所目の豊浦の避難所に、母と祖母は行った。高齢で通院生活をしていた祖母は連日の移動続きが体にこたえて、体が動かなくなってしまい、4月2日に長万部町立病院に入院した。入院してから7日後、祖母はある程度回復し、札幌の父の弟の元へ避難した。祖母の付き添いをしていた母は一人で避難所生活へ戻った。母は4月8日〜5月28日までの約1ヵ月半、4カ所目の長万部の避難所で生活した。父は豊浦支署の待機舎で寝泊まりしていた。結局その間家族全員がばらばらの生活をせざるをえなかった。　　</FONT></P><P><FONTCOLOR="#180D01">　私は5月の連休に長万部ファミリースポーツセンターに避難していた母に会いに行った。私は母が一時帰宅した時の事について話を聞いた。母は、有珠山の噴火後、4月15日に帰宅の許可が出た。15日ぶりだった。バスから降り、緊張の中、家の玄関を開けたが、中は最後に出た時のままであった。しかし与えられた時間はわずか40分程度だったので、一息つく暇もなかた。</FONT></P><P><FONTCOLOR="#180D01">　2回目の帰宅許可が出た4月26日は大きな噴火の後だった。母がバスの中から見た有珠山は、1カ所の火口から真っ黒い噴煙をあげていた。母がブラウン管を通して見たものより、はるかに恐ろしかった。バスの中はどよめきがあがっていた。家の中は無事だったが、窓から見慣れない光景が目に入った。遠くの幼稚園が確かに見えた。火山性隆起が生じる以前は、そこに幼稚園は見えなかった。驚きでただ茫然と立ち尽くしてしまった。しかし、時間は約2時間しかあたえられていなかったので、気を取り直し必要な物を持ち出した。</FONT></P><P><FONTCOLOR="#180D01">　母の話を聞いて、私は、テレビで見てきたものよりも遙かに恐ろしかったのだというこを実感した。1カ月間で私の想像を絶する事が起こっていた。ここでの生活でかなりの疲労がたまっているのでは、と母に尋ねると、「無いと言えば嘘になる。我が家に帰りたいと思うが、毎日ここで生活していくのにそんなことは言っていられない、今は希望を失わずに頑張らねばならない」と言った。確かにその通りだった。おそらく避難所住民の多くがそう思っているはずだ。</FONT></P><P><FONTCOLOR="#180D01">　私は初め避難所に行くのが嫌だった。避難民の人達は悲観的になっているのではないかと思っていたからだ。しかし、それは違った。そこには、いつか我が家に帰る日を信じて、今を生きる人々がいた。とても温かい笑顔があった。わずか4日間だけだったが、避難所生活をしてみて、こんな逆境の中でも、人間は輝きを持って生きられるのだなという事を知った。今は一刻も早い火山活動の終息、避難地域の解除、そして復興を望んでいる。</FONT></P><P><CENTER><FONT COLOR="#180D01"><HR></FONT><FONTCOLOR="#180D01"><A HREF="../27english/iwasa27e.html">English</A></FONT></CENTER></P><P><CENTER><FONTCOLOR="#180D01"><A HREF="../27english/27topics">Topics</A></FONT></CENTER></P><P><CENTER><FONTCOLOR="#180D01"><A HREF="../index.html">Index</A></FONT></CENTER></P><P><CENTER><FONT COLOR="#180D01">　　</FONT></CENTER></P></BODY></HTML>