<!--This file created 02.7.25 1:30 PM by Claris Home Page version 2.0J--><HTML><HEAD>   <TITLE>yokoyama33j</TITLE>   <META NAME=GENERATOR CONTENT="Claris Home Page 2.0J">   <META HTTP-EQUIV="Content-Type" CONTENT="text/html;CHARSET=x-sjis">   <X-SAS-WINDOW TOP=43 BOTTOM=758 LEFT=63 RIGHT=593></HEAD><BODY BGCOLOR="#FFFFFF"><P><CENTER><B><FONT SIZE="+1"COLOR="#00AF00">旧ソ連残留元日本兵について</FONT></B></CENTER></P><P ALIGN=RIGHT>2年　横山　千恵</P><P>第二次世界大戦後、民間人や軍人も含めて、ソ連に抑留された日本人がいたことはよく知られていることであるが、現在では全くいないか、あるいは何らかの行政的解決をしていると思われていた。</P><P>しかし、実際は日本人抑留者が少数とはいえ、いまだにロシアに存在するのである。北海道新聞によれば日本政府は国籍確認や恩給支払い申請に対して、面会などの独自の調査に着手せず、棚上げしたままとなっている。その例をいくつか引用した。彼らは皆80歳以上の高齢となって忘郷の年もあり、それぞれに苦悩しているようである。</P><P>まず1つの事例として、ソ連軍の捕虜になる直前に割腹自殺を図った日本兵（82歳）の方の話題を提供したい。この方は日本に帰国を許されたがソ連に残留し、ロシア人の女性との結婚や離婚など波乱の人生を送ってきた。現在の生活は月800ルーブリ（約3200円）の年金暮らしで、ロシア南部カルムイキア共和国ユージヌイでの中でも一番貧しい生活を送っている。波乱の人生ではあるが、それなりに楽しいときもあったであろう。が、現在の状況はよいとは言えない。</P><P>その他の事例は、1997年10月、エリツイン大統領と橋本龍太郎首相の日露首脳会談が開催された際、小樽出身の男性（81歳）が名乗り出たが日本政府から門前払いされてしまった。1年近くを要して、小樽に戸籍を回復し日本人として認めてもらった。彼は帰国後すぐに亡くなったという。しかし彼は幸せな方ではないだろうか。</P><P>帰国できるならまだよい方で、帰国も許されず自殺を図ってしまう方や、亡くなってしまう方など私たちが知らないだけで大勢いるとのことだ。</P><P>戦後半世紀以上を経た今、残留邦人情報や本人が名乗り出ることで存在が明らかになってしる。しかし、日本政府は身元や国籍の確認に取り組み、恩給支払いの可能性について検討すると約束したが、担当者によると当時の軍の記録などを調べただけである。その当時の証明書や記録というものが残っている方が不思議なくらい混乱していたのだから、彼らに自分を証明できるものは皆無に近いのではないだろうか。政府当局がその気になり、同級生や知人などの面会調査などしっかりと行うべきである。</P><P>改めて日本人と認めてもらうには、日本政府との粘り強い交渉が必要だというのではなく、政府の思いやりのある対応が求められる。</P><P>これらの政府の対応についてどう思われるだろうか？</P><P><CENTER><HR><A HREF="../33english/33topics.html">Topics</A><BR><A HREF="../index.html">Index</A></CENTER></P><P>　</P></BODY></HTML>