<!--This file created 02.12.18 9:02 PM by Claris Home Page version 2.0J--><HTML><HEAD>   <TITLE>jeremy34j</TITLE>   <META NAME=GENERATOR CONTENT="Claris Home Page 2.0J">   <META HTTP-EQUIV="Content-Type" CONTENT="text/html;CHARSET=x-sjis">   <X-SAS-WINDOW TOP=68 BOTTOM=825 LEFT=8 RIGHT=751></HEAD><BODY BGCOLOR="#FFFFFF"><P><CENTER><B><FONT SIZE="+1"COLOR="#00AF00">日本での一年間</FONT></B></CENTER></P><P ALIGN=RIGHT><FONT SIZE="+1">留学生　ジェレミー・D. スミス</FONT></P><P>　2000年のクリスマスのことは忘れられない思い出である。両親は、例年のようにクリスマスプレゼントを用意する代わりに、翌年の夏のために貯金することにしたのだ。その年のクリスマスに私がもらったものは、いくつかのプレゼントと、日本へ家族旅行をするための航空券だった。</P><P>　あいにく、日本について知っていたことと言えば、人々が生の魚を食べることくらいだった。それからの6ヶ月間、私たち家族4人は日本へ出発するまで、ビデオを借り、日本語の慣用表現を勉強した。見慣れぬ景色や日本人の行動をとてもたくさん見たので、不安がだんだんと募り始め、日本語と英語がどれだけ違うかわかった。アメリカを発つ5月の初めまでに、魅惑的な響きを持つ「東洋の国」で2週間半を冒険のように過ごせることを私はとても楽しみにしていた。</P><P>　私たちは旅の初め、九州の熊本市近くの大津町で1週間過ごした。大津町は私の住んでいるネブラスカ州ヘイスティングスの姉妹都市なので、大津町へ来て音楽を演奏しないかという招待を受けたのだ。私達家族は楽器を持参し、スミス一家音楽団として、その町にある9校の小学校と中学校でアメリカのフォークミュージックを演奏し、ダンスを披露した。大津町に滞在している間、午前中以降は観光をしたり色々な家庭に滞在した。</P><P>　大津町を離れ、高知や広島、神戸、東京など様々な都市に住んでいる他の友人を訪ねながら旅行をした。長く滞在すればするほど、日本人がどのように私たちをもてなし、日本人同士がどのような付き合いをしているか、ますます興味をそそられた。そこには、目で見ること以上のものが存在すると絶えず感じ、そして、日本にまた来るかもしれないという気持ちになった。</P><P>　帰国してネブラスカ州立大学カーニー校に戻った後、日本語を勉強するため札幌大学へ奨学金付で留学できると知った。私は、熱い思いとともにその留学制度に応募し、不安な気持ちで結果を待った。12月8日、私は奨学金を授与されたという知らせを受け、安堵のため息をつき、喜びをかみしめた。</P><P>　それからちょうど3ヶ月後、私はまた日本に戻って来た。10ヶ月間の滞在予定のうち、最初の3週間は、前の年にお世話になった大津町に住んでいるホストファミリーと一緒に過ごした。しかしその時に、は日本語を学ぶのがどんなに大変なことになるだろうと思い始めた。</P><P>　4月から、ネブラスカ州立大学カーニー校から来た他の二人の留学生である、ヤンカ・フダコーヴァとカルロス・ドス・サントスと一緒に、札幌大学で授業を受け始めた。その時には私たちが帰国する12月がとても先のことのように感じたが、今では、札幌を発つまであと2週間となり、時が経つのはなんて速いのだろうと驚いている。</P><P>　最後のお別れと2つの姉妹校に感謝の気持ちを表して、私は次の2つの素晴らしい体験を話そうと思う。</P><P><CENTER>＊＊＊</CENTER></P><P>　「この夏どこへ行くって？本気かい？」私が、道東の中標津にある酪農家で3週間過ごすと決めた時、ほとんどの人はこのような反応をした。札幌大学の友人と先生が、酪農業を営む今井さん一家に私を紹介してくれた。私の熱裂な思いにより、夏休みの間、今井家に泊まって酪農業を手伝わせてくれることとなった。これは普通の「ホームステイ」ではなく、「ファームステイ」であった。</P><P>　毎朝6時から4時間、私たちは乳牛を移動させたり餌を与えたり搾乳をした。牛の体調が悪かったりけがをしていたり、または発情したりしている時は、獣医を呼んでその牛たちに適切な処置をしてもらった。病気の牛はよくワクチンを投与され、けがをした牛は麻酔を打たれけがの治療を受けた。そして一番興味深かったのが、発情した牛についてであった。驚いたことに、雄牛は普通に雌牛と交尾をすることはできないのだ。代わりに、受精率を上げるために人工授精が用いられていた。</P><P>　毎日搾乳をすることはとても珍しい経験だったが、私が気に入ったのは実際にトラクターを運転し、その他の農家の機械を動かしたことだった。アメリカでは、16才になれば車の運転は毎日の生活の一部となり、農家に住む学生の場合には、14才から運転を始めるのだ。札幌では車の運転が懐かしく、農場の機械を動かすことができた時はとても感激した。</P><P>　滞在の最終日が近づき、今井さんは私が行きたい所へ4日間旅行できるように車とテントを貸してくれた。大きな感謝の気持ちと喜び、そして少し不安な気持ちで人生への冒険へと旅出った。そしてすぐに、私はまだ地図や標識の漢字が読めないということに気がついた。その旅は間違いなく困難なものになろうとしていた。</P><P>　旅の間、屈斜路湖や網走、宗谷岬、稚内、士別、大雪山国立公園など北海道特有の美しい場所を見た。そして、その景色や農場が私の町に似ていたので、たびたび私はネブラスカに戻ったように感じた。この旅で北海道での留学生活はさらに貴重な体験となった。</P><P><CENTER>＊＊＊</CENTER></P><P>　私が話したい2つ目の体験は、次のようである。10月の中旬、札大で例年の大学祭が開催され、最終イベントの一つであるダンス大会がメインステージで行われた。最初この大会について聞いた時、参加しようと思ったが、躊躇した。</P><P>　高校生の時に交換留学生としてドイツにいた間、語学に加えて社交ダンスも習った。ネブラスカに戻り、この2年半の間、私は社交ダンスとスウィングダンスのクラスでダンスを教えてきた。加えて、今年5月下旬に、私はチャチャダンスやタンゴ、スウィングやワルツのようなダンスを習うために週2回ダンス教室に参加した。私は日本のダンススクールで、ほとんど白髪の年配の女性と男性に加え、少数の中年の人を見て驚いた。これは、国民の90％が社交ダンスをするドイツや、ダンサーのほとんどが25才から50才であるアメリカとは全く違うものであった。</P><P>　札大祭で見た、日本人が好きなヒップホップやよさこいは私を驚かせた。しかし、アメリカの文化の一部と私の情熱を分かち合うことで札大生に見せつけたかった。それで、ダンスのパートナーと私は、単純にダンスを楽しむためにそのダンス大会、DanceDance Grandpriに出場した。</P><P>　現在のアメリカでは、スウィングダンスは驚くべき速さで人気を呼んでいる。そのため、私たちは60年代風の衣装でJohnnyB.Goodeのロックンロールに合わせて踊ることにした。観客が大いに沸き、楽しい時間を過ごせたように思えたことは、私たちの驚きであり大きな喜びであった。</P><P><CENTER>＊＊＊</CENTER></P><P>　これらは札幌や日本において、幸運な二つの素晴らしい体験である。仮に、日本語や日本文化にとてももどかしさを感じることが何度かあったとしても、あらゆる経験をし、困難にうち勝つことで交換留学の体験がさらに価値のある、特別なものになった。</P><P>　この札大への交換留学が、確実に私の将来に影響を与えるだろうということは明らかである。物理学やドイツ語を教えることに加えて、私は今では日本語も同様に教えたいと思っている。また、母校のネブラスカ州立カーニー校で増えつつある日本人留学生の増加に関わることを楽しみにしている。大学や職業を越えて、私もアメリカと日本の間における交換留学生のために、もっと多くの機会をつくる手助けをしたいと思う。</P><P>　外国に住んだり、勉強するという貴重な体験は、交換留学プログラムや航空券の値段以上にはるかに価値がある。その体験は人生に大きく衝撃を与え、はるかに優れた世界人や国際人、もっと成熟した個人をつくっていくことだろう。私の生涯においてこの一年はそのような特性を生み出すことを手助けした年であり、その中で出会った多くの人々に感謝している！</P><P>　札大の学生と教師に心から幸運を祈っている。</P><P><CENTER><HR><B><FONTSIZE="+1"><A HREF="../34english/34topics.html">Topics</A></FONT><FONTSIZE="+1"><BR></FONT><FONT SIZE="+1"><A HREF="../index.html">Index</A></FONT><FONTSIZE="+1"><BR></FONT></B></CENTER></P><P>　</P><P>　</P></BODY></HTML>