<!--This file created 02.12.18 9:05 PM by Claris Home Page version 2.0J--><HTML><HEAD>   <TITLE>konno34j</TITLE>   <META NAME=GENERATOR CONTENT="Claris Home Page 2.0J">   <META HTTP-EQUIV="Content-Type" CONTENT="text/html;CHARSET=x-sjis">   <X-SAS-WINDOW TOP=43 BOTTOM=823 LEFT=4 RIGHT=766></HEAD><BODY BGCOLOR="#FFFFFF"><P><CENTER><B><FONT SIZE="+1"COLOR="#0000AF">実験動物としての存在価値</FONT></B></CENTER></P><P ALIGN=RIGHT><FONT SIZE="+1">2年　金野　宏昭</FONT></P><P>　現在、世界では、年に約2億匹もの哺乳動物が動物実験に使われており、日本でも、年に、約2千万匹の哺乳動物が使われている。最近の科学技術や医療技術の目覚ましい発達によって、私達の生活レベルは年々向上しているのだが、その背景には、残虐な動物実験の存在がある。動物実験とは、多岐にわたる項目があるので一言では語れないが、我々の生活面に密接に関係しているものとして、化粧品の試作品毒性検査実験などがあり、専門的な範疇までを言及すると、遺伝子工学や、脳の仕組み、臓器関連の域にまで達する。これらの実験に使われた動物達は、日々、検査によるデータ回収をされ、最終的には、ただの肉片となって捨てられてしまう。</P><P>　実験動物としては、主に、モルモット、ラット、ウサギ、犬や猫、そして猿が挙げられる。主な実験内容としては、ウサギの片目に、試験物質（シャンプーなど）を点眼し、もう片方の目と比較して、どれ程の影響が出るのかを調べる眼刺激試験、モルモットやマウスに、紫外線を浴びせ、皮膚炎を検査する光毒性試験、そして、犬や猫の体に化学製品を投与して、その致死量を調べる急性毒性試験などがある。これらの実験は、ほんの一例に過ぎず、他にも様々な実験があるのだ。そして、実験終了後には、動物達は、その残虐さのあまり死んでしまうか、解剖されるかなので、生存する事は不可能である。そもそも実験動物として生を受けた時点で、この運命は変えられない。</P><P>　ここで、日本のある化粧品メーカーの、動物実験の実施に対する質問の回答を見てもらいたい。それは、「弊社では、絶対不可欠と判断される極一部の場合を除いては、動物を用いない代替法により実験は行っていません。具体的な数字でお答えすると、99.7％以上の製品については行っておりません」、というものだった。つまり、実験が絶対不可欠とされる製品、約0.3％の割合に値する動物達が実験に使われているのだ。こうしたメーカーの「極一部」という意識が、毎年約2千万匹の動物達の命を奪っているのである。ここで、意識して欲しい事は、企業が、実際に実験をしているという事実に他ならない。</P><P>　では、何故、動物達がここまで、いわれのない蛮行を受け続けなければならないのだろうか。その原因の一つとして、他の先進国と違って、我が国では、動物実験に関する法律が、一つも制定されていない事が挙げられる。実験に対する、委員会の設置や、査察制度や記録などが一切義務づけられていないのである。動物愛護法では、企業の介入等があるので、動物実験の内容までは、包括しきれていない。だが、アメリカの場合でも、実験動物の使用の規定があるにも関わらず、動物福祉行為は強制されていない。また、アメリカは、モルモット、やラット、鳥を、動物として分類していないので、動物福祉条例に適用されていない事実がある。ただでさえ訴訟が激しいアメリカでは、製品品質は完璧にしなければならない。そのための実験であれば、アメリカの企業はためらいもなく実施するだろう。どの先進国も、法律の有無に関わらず動物実験を行なっているのだ。もう一つの原因としては、我々一般市民の、動物実験に対する知識・認識度が低いことだろう。だが、これはメディアと企業との強い連係のために、我々がこの類の情報をテレビなどで得る事はまずない。こういった現状では、動物実験に歯止めをかける事は難しいだろう。</P><P>　ところで、ここで一つ再考してもらいたい事がある。実験動物と見なされる動物達は、実際に動物としての権利を持ち合わせていないのである。主に、モルモットやラット、ウサギに言える事なのだが、彼等は、実験用として培養されているだけなのである。そんな彼等を動物と見るか、実験道具として見るかが大きな問題である。同じような事が、動物飼育工場の例にも言える。現代は大量消費時代であるが、勿論、畜産業においても例外ではない。そのため、現代における食糧事情のために、動物達の大量生産が余儀なくされている。その工場内で重視されている事は、動物の権利などではなく、いかに早く、肥沃に育て、収穫するかである。もう一つの例として、脳の機能の研究のために、猿の解剖をしているアメリカのある神経科学者は、「動物実験は避けられるものではない。そして、それが人間のためになっている」と語っている。動物保護を取るか、真理の探究を取るか。勿論、研究のために猿を殺すのには疑問が残る。だが、ここで、科学者の純粋な探求心を阻害する権利を、誰が持ち合わせているのだろうか。</P><P>　このように、動物実験は、様々な人の価値観と倫理との交錯の上で行われている。しかし、そんな中でも、決して変わる事のない事実が、たった一つだけある。それは、殺すという行為がなされている事だ。生とし生ける者達を殺している事実がある以上、動物実験を肯定する事は出来ない。化粧品の事実においても、画期的な代替法を考案するなど、実験廃絶の余地は十分にあり得る。そして今、一番に問わなければならない事は、実験動物としての価値である。彼等は、本能の名の基に自由に動き回れる「動物」なのか。それとも、ただの実験道具でしかないのだろうか。これは現在の状況では、判断し難い問題だが、私達に生きる権利がある以上、考えていかなければならない問題である。</P><P><CENTER><HR><B><FONTSIZE="+1"><A HREF="../34english/34topics.html">Topics</A></FONT><FONTSIZE="+1"><BR></FONT><FONT SIZE="+1"><A HREF="../index.html">Index</A></FONT><FONTSIZE="+1"><BR></FONT></B></CENTER></P><P>　</P><P>　</P><P>　</P></BODY></HTML>