<!--This file created 02.12.18 9:04 PM by Claris Home Page version 2.0J--><HTML><HEAD>   <TITLE>yoshida34j</TITLE>   <META NAME=GENERATOR CONTENT="Claris Home Page 2.0J">   <META HTTP-EQUIV="Content-Type" CONTENT="text/html;CHARSET=x-sjis">   <X-SAS-WINDOW TOP=43 BOTTOM=860 LEFT=4 RIGHT=534></HEAD><BODY BGCOLOR="#FFFFFF"><P><CENTER><B><FONT SIZE="+1"COLOR="#AF0000">『命』ある限り捧げる祈り</FONT></B></CENTER></P><P ALIGN=RIGHT><FONT SIZE="+1">3年　吉田　藍</FONT></P><P>　冒頭の場面はまるで一枚の絵のようであった。スクリーンいっぱいに降り続く雪の向こうには、病院の一つの窓から豊川悦司演じる東由多加だけがぽつんと映し出される。彼は、取り残された子供のように待合い椅子に座り、江角マキコ演じる柳の出産を待っている。そして、字幕が流れてくる。「あるひとの存在をこころにとどめる　愛するということはその思いを行為に変えることではなく、思うことそのもの。」この台詞がフィクション映画『命』の全てを表している。</P><P>　映画『命』は、柳美里の体験をつづった小説『命』シリーズが映像化されたものである。2000年に出版された『命』に続き、この2年間で『魂』『生』『声』と続編を執筆した（33号の新聞に「家族の絆を結んだ命の絆」と題して掲載）。合計で100万部のベストセラーとなった。映画『命』は、4作のシリーズをまとめ、柳美里の妊娠から東由多加の死までを描いている。</P><P>　この映画は静のなかに燃えるような生命の鼓動が激しく聞こえてくる映像であった。原作を壊さず、そして原作に媚びずに演出した監督や脚本家の才能が大いに発揮されたであろう。映画を見る前に物語を知っている原作読者にとって、納得のいく構成であった。新生児を扱う産婦人科病棟の病室は、木目をベースに暖かい雰囲気を作り「生」を表し、対照的に、東の入院している癌病棟は、陰気な色の冷たい感じで「死」を表現している。また、東のまわりを流れる時間や季節を表す映像で、東の死が近づいているのがわかる。</P><P>　主演の豊川悦司、江角マキコの演技には強い気迫を感じた。彼らは言葉を越えて、「生と死」「命」を、まるで自らの命を剥き出すかのように表現した。体重を13キロも落とした豊川は、壮絶な演技で東を演じた。むしろ、演技以上に、スクリーンの中では東由多加の魂がそこに存在しているかのようであった。原作にはないが、どこかの父親と、その子が楽しそうに遊んでいるのを見て、柳の子供を抱く東が、木陰で声を押し殺して泣く場面がある。そこには、死期が迫り、柳の子供の成長を見守ることも、教えることもできない東の堪えきれない感情があふれ出ていた。</P><P>　この作品は、今まで明確にわからなかった「命」に真正面からぶつかった柳、息子、東の三人が、「生」と「死」を通して「命」の尊厳を伝えている。そこには、人が生まれ、生きる、儚い人生そのものが固執されている。人は、目的を持って生きることで強くなれる、ということを真っ向か描いている。大事なことは、それだけ生きたかや何を得たかでなく、どのようにいきてきたかである。愛をも超越し、強い信念から行動したり、その思いを表現できる命を授かった私たちは、生きることへの感動を忘れてはならない。</P><P><CENTER><HR><B><FONTSIZE="+1"><A HREF="../34english/34topics.html">Topics</A></FONT><FONTSIZE="+1"><BR></FONT><FONT SIZE="+1"><A HREF="../index.html">Index</A></FONT><FONTSIZE="+1"><BR></FONT></B></CENTER></P><P>　</P><P>　</P></BODY></HTML>