芥川賞作家、綿矢りさの世界

 

1年 阿部 智美

 今年の芥川賞の発表で、日本中は大いに盛り上がった。それは綿矢りさ19歳と金原ひとみ20歳が史上最年少でこの賞を受賞したからである。綿矢の今回の受賞作は『蹴りたい背中』で、彼女はデビュー作である『インストール』でも2001年に最年少で文藝賞を受賞し、今最も注目されている作家だ。この発表されている2作に焦点を当てながら、綿矢の魅力に迫りたい。

 現在、早稲田大学在学中の彼女がこの2作で描き出すのは、個性的な女子高校生が変わりゆく日常にどう対応しようかと模索しながら生きる姿である。読み終えた後、我々は今までにこのような女子高校生の日常を果たして見たことがあるだろうか、あるいは知ってしまってもいいのだろうか、という思いにさせられる。綿矢の作品に登場し、ぶつかっている壁や悩みを自分独自の行動で解決していく現代の女子高校生たちの姿は、非常に興味深い。

 『インストール』では、無遅刻無欠席であった高3の女子高校生朝子が、受験を間近にしながらも毎日生きている理由をさがし、結局登校拒否になり、自分の部屋にあるもの全てを捨ててしまう。そんなとき彼女の住むマンションのゴミ捨て場で、同じマンションに住む小学生の男の子かずよしと出会い、1度は捨てたコンピュータを再生させた彼と一緒にチャットで一儲けする、という話である。お互いに家族の関係が複雑な2人の少し歪んだ性格が妙にかみ合い、朝子は一転した日常から新しい自分を探し出そうとする。つまり、自分自身を「インストール」しようとするのである。

 しかしその金儲けとは、日中誰もいなくなるかずよしの家に合い鍵を使って入り、かずよしのメル友である風俗嬢のかわりにお客を相手にチャットをする、というもの。年齢も性別さえも偽ることのできるネット上で進められていく日常は、いかにも現代的である。だが朝子の場合、他人の家が留守のあいだに忍び込んで、パソコンが隠してある押し入れの中にこもって見知らぬ男性とわいせつな会話をつづっていくのだ。この、今まで経験したこともない非日常の世界に朝子ははまっていく。だが、このような非日常は、パソコンや携帯電話が普及したIT社会の現代では普通である、と思わせるところに現代の恐怖を感じるとともに、そんな歪んだ日常にはまりこんでいく朝子の置かれている「正常な日常」の息苦しさが伝わってくる。

 「蹴りたい背中」という非常に印象的な題名の作品は、高校に入学して2ヵ月ほどの女子高校生ハツが、数少ない「クラスに馴染めていない者」として生活し始めているが、同じく孤独に存在するクラスの男子、にな川と親しくなっていくという話である。きっかけはにな川が授業中にこっそりとページを繰っていた女性ファッション誌をハツがのぞき込み、「そのモデルを見かけたことがある」と言ったことだった。にな川はそのモデルのファンだったのだ。ハツは会った場所の地図を書いてくれ、とかその場所に連れていってくれ、とかと懇願され、しぶしぶ行動を共にすることが多くなる。にな川は行く先々で壁にぶつかり、悩み苦しむ。その丸く落ち込んだ背中を見て、ハツは決して恋愛ではない「蹴りたい」という感情を抱く。「痛がるにな川が見たい」という衝動に駆られたハツは、実際ににな川の背中を蹴る。その変な行動から満足感を得るハツと、蹴られたのかどうかもわからずに痛がるにな川のと間で、友情とも愛情とも言えない関係が続いていく。にな川は、もとはといえば自分が好きなモデルと会ったことのある人だから、という理由だけでハツに接触したのだ。このように芸能人しか眼中にない、いわゆる熱狂的ファンというのは、一般的な社会の生活に対応しきれるのだろうか。このにな川という人間も、非日常的な存在でありながら現代の「日常」というものを映し出している。

 この2作の中で、普通の女子高校生たちがひょんなことから想像もつかない世界に足を踏み入れていく姿は、綿矢りさの視点や感覚だからこそ生まれたものだ。特に同年代の我々には、そのありきたりな高校生活の1シーンが身近である。鮮明に思い出せる自分の高校時代と照らし合わせることも容易だ。だが、いくらありきたりではあっても、この2作で展開される様々な非日常の出来事は、非常に「新鮮」で「驚き」である。

 また、文体を見ても現代語というか日頃我々の世代が使い慣れた言葉でつづられているので、その点からも読みやすい作品であると言える。「芥川賞受賞」というラベルにとらわれても構わないので、この独特な若者の世界を一度のぞいてみると、あなたの「日常」が変化するかもしれない。


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