<!--This file created 05.12.18 5:24 PM by Claris Home Page version 2.0J--><HTML><HEAD>   <TITLE>gilstrap43j</TITLE>   <META NAME=GENERATOR CONTENT="Claris Home Page 2.0J">   <META HTTP-EQUIV="Content-Type" CONTENT="text/html;CHARSET=x-sjis">   <X-SAS-WINDOW TOP=43 BOTTOM=758 LEFT=4 RIGHT=534></HEAD><BODY BGCOLOR="#FFFFFF"><P><CENTER><B><FONTSIZE="+2">小さな町のアメリカ人が見た日本</FONT></B></CENTER></P><P ALIGN=RIGHT><FONTSIZE="+1">留学生　メリッサ・ギルストラップ（カーニー大学）</FONT></P><P>　</P><P>　ネブラスカは牛、トウモロコシそれに起伏のない平地。日本とはかなり違う。私のように小さな町の出身だと、ある日地球を半分も旅して、ネブラスカとはぜんぜん違ったところに自分がいるなんて想像するのは難しいことだ。</P><P>　これまでずっと、新しいところを旅して新しいことを経験したい、という衝動に駆られていた。だけど、それが大学の１年という早い時期に起ころうとは思ってもみなかった。ネブラスカを出るにしても、そのまえに大学を終え、卒業証書をもらってからだろうと考えていた。そんなこと全部がひっくり返ったのは１月のある朝のことだった。一生涯あるかないかのチャンスが眼前に用意されていて、私はそれを躊躇なく掴んだ。前途に何が待ちかまえているかは少しも知らなかった。</P><P>　私の知っている日本語といえば、基本の「１、２、３」だけだった。空港に駆けつけ、そして、飛行機から降りると、すっかり震えあがった。どこへ行ったらいいのか、どのバスに乗ったらどこへ連れて行ってくれるのか、見当もつかなかった。次の空港に連れて行ってくれるバスを見つけるのは極めて面白い経験だった。成田から羽田に行くバスの中で、私の故郷とくらべると東京の大きさはとてつもないと度肝を抜かれた。おそらくはひとつの団地で私の故郷と同じ数の住人が住んでいることであろう。ひょっとするとそれ以上かもしれない。目に入ってきたのは何十という住宅地で一戸建ての住宅はほとんどなく、どれもアパートのビル群である。札幌のアパートの部屋―中にはカーニー大学の寮室ほどもないものもあるが、そこに落ち着いて、私は、また「一体全体どうして日本にきたのだろう？」と一人で考えた。その頃は、人生で最もビクビクしていた。私は日本という巨大な店のなかで迷子になっている小さな子供のような気持であった。控えめに言っても、恐怖であった。</P><P>　ネブラスカは基本的に平坦地である。たしかに、あちこちに丘もあるが、日本に比較できるものは全くない。右も左も目に入ってくるのはトウモロコシ畑と牛と、そのまた向こうにまたトウモロコシ畑という具合だ。真にトウモロコシの海のようで、その中に６〜７マイルごとに町があるのだ。ネブラスカで最も背の高い建物といえるのはトウモロコシや麦の大倉庫それと貯水タンクである。それにトラクターやコンバインが道路の脇を走っているのもそう珍しいことではない。だから、当然のこととして、札幌を取り巻いている美しい山の景色は畏怖の念をおこさせる。そして、札幌は隅から隅まで大好きである。疑いもなく私の気持の中にあるのは、どうしてこんなに沢山の人がここに住んでいるのかということである。ネブラスカと比べて、札幌は全く別世界のようである。その雰囲気や環境、流行、街の清潔さ、食べ物、そして公共交通機関でさえ全く違う。</P><P>　日本人はどれほど沢山の祭りを祝うのか全然知らなかった。そして、その数が多いのに驚いた。日本に来て間もない頃に本当に楽しんだ行事は、私が参加した最初の祭りである「さくら祭り」だった。桜の木は実に美しく、今でも来年またあの桜が花を咲かせるのを見に戻ってこられたら、どんなにいいかと思っている。その時は、天候がまだちょっと肌寒かったのだが、ただ木の下に坐って、友達と話をしているだけで実に楽しかった。それが「すし」を食べた最初だった。最初は少々気がかりだった。私はすしと言えば、ご飯をのりで巻いたようなものではなくて、「生魚」を思い浮かべる。中西部出身であるから、すしは私の経験する食べ物のリストの必ずしも最初にくるものではない。とにかく試してみた。そして驚いたことに、私は本当にそれを美味しいと思った。すしの味はこういうものだろう、と予期していたものとは違っていた。しかしまた、札幌のものは何でも私の予想とは異なっているのだ。</P><P>　私にとって、ここに来てから慣れなければならなかったのは公共交通機関だった。私はそれがどう運行されるのか、どこで切符を買うのか、どのボタンを押すのか、おっかなびっくりだった。バスの料金がいくらかも、どのバスがどこ行きかも知らなかった。故郷ネブラスカで私のやっていたことは、ただ自分の車のキーをひっつかんで車にとび乗り、目的地に行くだけだった。それほどたやすいことだった。学校以外のどんなところにも歩いていって、また歩いて寮に戻ってくることに慣れるなんてことはなかった。札幌では、ちょっと歩いてバス停に行き、地下鉄まで乗って、次に、電車を降りるまでにあといく駅あるか考えるのだ。通りの名前を全部知っている自分の町から、通りの名前を発音することさえままならないところへ突然やって来るのはとても大変なことであった。</P><P>　様々なことに慣れるのに、１、２カ月かかったが、とうとう、今ではすっかり身に付いてしまった。きっとネブラスカの故郷に戻ったとき、様々なことが奇妙に思えることだろう。道路の反対車線を運転したり、実際にまた通常の授業を受けることにも慣れなければならない。私は、ここで過ごした時間をすっかり楽しんだ、そして今、戻るのが待ちきれないくらいだ。まったく、習慣、文化、言語の知識のない外国に行くのはとてつもない企てで、半端な仕事ではない。しかし、そのようなことをやる機会を持ったのはこの上ない幸せであった。</P><P><CENTER>　<HR><A HREF="../43english/topics43">Topics<BR></A><A HREF="../index.html">Index</A></CENTER></P></BODY></HTML>