<!--This file created 07.5.23 6:37 PM by Claris Home Page version 2.0J--><HTML><HEAD>   <TITLE>sato47j</TITLE>   <META NAME=GENERATOR CONTENT="Claris Home Page 2.0J">   <META HTTP-EQUIV="Content-Type" CONTENT="text/html;CHARSET=x-sjis">   <X-SAS-WINDOW TOP=68 BOTTOM=768 LEFT=8 RIGHT=538></HEAD><BODY BGCOLOR="#FFFFFF"><P ALIGN=RIGHT><B><FONTSIZE="+2">海外だよりＮｏ．11：マンハッタンの生活</FONT></B></P><P>　</P><P ALIGN=RIGHT><FONT SIZE="+1">佐藤　匡</FONT></P><P ALIGN=RIGHT><FONT SIZE="+1">外国語学部英語学科　1996年卒業</FONT></P><P>北米伊藤園勤務</P><P>　</P><P>1990年代は日本経済にとって大変な時期でした。バブル崩壊後の不景気の真っ只中にあり、職場を用意できないせいで、大学卒を雇う意欲のある会社はそう多くはありませんでした。そのような時代に私は札幌大学に入学しましたので、否応なしに就職のために力となるものを探しておりました。あと1年間の学生生活を違った環境で過ごすこともありなのか？という考えがあり、四年時に札大の交換留学に応募し、1994年秋から1995年の春までネブラスカ州立大学カーニィー校で学びました。</P><P>高校時代にカナダへ1年間の留学を経験した私にとって、卒業を更に1年先に延ばすことは、履歴から見て将来の就職に悪影響を及ぼす、と心配しました。しかし、ネブラスカで大学教育をもう１年延ばすと、同年代より２年遅れることは分かっていましたが、望んで危険を冒しました。正直に言いますと、当時の私には、将来の設計に関する限り何もイメージできておりませんでした。　そのようなこともあって、アメリカに行くと自分の得意なものや、いつまでも私を惹きつけてくれる仕事などを発見するきっかけになるのではないか、と考えたのです。</P><P>ネブラスカではLuddenHallという世界中からの留学生が滞在する小さな寮での生活となりました。多国籍な環境であり、違う文化・宗教背景を持った学生達が一つの小さな建物を住まいとし、互いを理解しあい、互いから学ぶ姿勢を常に持ち、一つの家族のような感情と絆を形成する環境でした。留学生達にとって非常に大切なことは、各々が一緒に心地よく生活しながらも、個人の特性を維持することでした。すぐに気付いたのですが、私が学んでいくのは教室だけではなく、多分それ以上に日常の生活経験から容易に身に付いていくのだということでした。</P><P>ネブラスカを去り日本に帰る頃には、将来の希望として世界各国の文化背景の違う人々と仕事をすることに焦点が絞られてきたことが分かりました。それから現在まで多様な人々について多くを学びその生活体験が、現在居住するニューヨーク市での生活に大いに役立っています。</P><P>これまで、私が従事してきた仕事は全て多少なりとも食品業界にかかわっています。新卒採用時に就職した会社は、札幌の食品加工会社でした。そこには食肉加工と卸売りの部門があり、私はまず初めにルートセールス人員として雇用されました。しかし、後になって会社が新たに設立しようとしていた、自社による海外原料の仕入れ企画にかかわりました。</P><P>会社が計画していたのは新しい部門を作り、食肉を貿易会社から買うのではなく自社独自の購入ルートを組織することでした。私には、そのような資本を投下し、大きな投資と信用を必要とするインフラ整備をすることは会社の体力やサイズにしては非常に思い切った挑戦だと思いました。しかし残念なことに、私が辞職してまもなく、会社はその企画に失敗し、2000年はじめに倒産する結果となってしまいました。このことは個人としては失敗と思えるかも知れませんが、私自身は大いなる自信と、多くの経験を得てここを離れることが出来ました。</P><P>現在、私はマンハッタンに居住しております。理由は、現在勤めている会社である株式会社伊藤園により、米国に無糖茶飲料市場を形成するという使命を背負い、ここニューヨークの子会社に出向しております。</P><P>アメリカは「砂糖やカフェインに浸された国」などと形容されておりますが、それほどに無糖茶飲料市場は小さな規模であり、当たり前なのかもしれませんが、コーラなど炭酸飲料系は市場全体の半分を形成します。弊社がニューヨークに子会社である株式会社北米伊藤園を設立したのは2001年です。これは、どれほどのものが今日から明日に至るあいだに変化しうるかを気付かせた911同時多発テロがあった年です。</P><P>幸いにも、911のとき私はニューヨークにはいなくて、安全に日本の東京本社にいて北米伊藤園を日本からサポートしていました。その後すぐにニューヨークに出向し、今ではそこが新しい故郷となり以来3年半が経ちました。</P><P>私達の商品は、現在米国市場では非常に独特な地位を築いており、ますます強力になっています。カロリーゼロ、脂肪ゼロ、コレステロールゼロでありながら、消費者に健康成分である抗酸化物質、いわゆるカテキンを供給しています。私達は確実にコカコーラ／ペプシのホームグランドに新しい市場を根付かせています。</P><P>今日、日本を含めて世界中の多くの国では生活習慣病で悩む人々が増えています。これは重大な問題で、特にアメリカ人は脂肪、糖類、コレステロールの日常の摂取量を減らす必要があり、消費者の焦点は「健康」へと移動することが求められています。彼らは常に身体に良い食品を求めています。弊社の商品はまさしくその通りのものであると確信しています。</P><P>伊藤園という会社に携わっていること自体が私にとって重要なことですし、また、以前には存在していなかったこの特別な商品の市場で、より大きなそしてより発展したビジネスを構築していくために必須のものを身につける人生一度きりの舞台にいることに幸福を感じます。斬新かつ危険を伴うものの一部を担うことは、そのことによって与えられる恩恵を受けられる少なくとも人生に一度はある経験だと思っています。</P><P>つい先日こちらで息子が産まれました。アメリカ産まれですから二重国籍となります。息子は現時点でまだ1ヶ月歳であり、私にとっては家に帰っても違う仕事が増えたという感覚であります。お腹から出てきた瞬間から、私が学生時代に大きな魅力を感じた多国籍文化のここニューヨークの環境に触れているわが子を育てることは、妻にとっても私にとっても、おおきな喜びとなっています。</P><P>非常に異なる環境で子を授かり育てていくことは確かに難しいことであり、最新のチャレンジでもあります。人生が一回きりしかないことを考えますと、目の前に現れるあらゆるものの有様を見ることは本当に幸せなことです。今後の人生の一瞬一瞬を最高の時にしたいという私が常に持ち続けている気持ちがモチベーションとなって、また新たな挑戦を日々続けて参りたいと考えております。</P><P>追伸：皆様には大変申し訳ないことに、私は就職課に現在の就職先状況などを報告・登録をしていないため、いままで札幌大学の皆さんからOB訪問などを受けたことはございません。　せっかくですので、もし私のようなキャリアに興味をお持ちの方がいらっしゃるなら、遠慮なく気軽に質問等を投げかけてください。アドレスはこちらです。msato@itoen.com</P><P><CENTER><HR><U><FONTCOLOR="#0000AF"><A HREF="../47english/topics47">Topics</A></FONT><FONTCOLOR="#0000AF"><BR></FONT><FONTCOLOR="#0000AF"><A HREF="../index.html">Index</A></FONT></U></CENTER></P><P>　</P></BODY></HTML>