<!--This file created 08.1.23 0:41 PM by Claris Home Page version 2.0J--><HTML><HEAD>   <TITLE>overseas49j</TITLE>   <META NAME=GENERATOR CONTENT="Claris Home Page 2.0J">   <META HTTP-EQUIV="Content-Type" CONTENT="text/html;CHARSET=x-sjis">   <X-SAS-WINDOW TOP=43 BOTTOM=758 LEFT=4 RIGHT=534></HEAD><BODY BGCOLOR="#FFFFFF"><P><CENTER><B><FONT SIZE="+2">海外だよりNo.13:</FONT></B></CENTER></P><P><CENTER><B><FONT SIZE="+2">台北の街に住み、働いて</FONT></B></CENTER></P><P ALIGN=RIGHT><FONT SIZE="+2">匿名希望　</FONT></P><P>　</P><P>街が朝焼けに包まれる頃、近所のおんどりのけたたましい鳴声がひびき、老人たちは公園に行き、昔ながらの音楽に合わせて太極拳をする。私は快適なベッドで目をこすり、あくびをしながら毎朝聞こえてくる音に耳を澄ませている。ここは人口264万の台北市、今と昔が共存し、東が西と出会い、私が雑誌の執筆者・編集者として生きているところ。私が住んでいるあたりは台北の旧市街で、寺院や市場や公園があり、人々は日がな一日お茶を飲みながらゆったりとすごす。大通りの向かいには世界で二番目の高さを誇る商業ビル「台北101」をはじめ美しい高層ビルが林立している。</P><P>私がこの土地に来たのは３年前のことで、それまでは大学院の学生であった。大学時代に交換留学生としてアメリカ留学を経験し、卒業後は日本の大学院で教育学を専攻していた。大学院で研究調査のために渡米し、小学校とNPO法人が連携し、児童の教育のみならず保護者を含む地域住民の自尊心を高めていく活動を目の当たりにした。私はそこで行われている住民の生活に相違を来す活動に感銘を受けた。その経験があって、将来的にはNPOの運営に携わりたいと考えるようになっていった。私はその思いを実現すべく大学院を終えると台湾にある教育関係のNPOで就職することにしたのだった。</P><P>実際に海外のNPO法人に就職して、残念ながら現実の仕事は非常に難しいものであることがわかった。数ヶ月も経つと、給料面での不足がつらくのしかかってきた。家族と一緒に住む習慣がある台湾での給料設定は、外国人として一人暮らしするに十分なものではなかった。楽しく、遣り甲斐のある仕事ではあったが、私は転職を余儀なくされた。</P><P>最初、他の国のNPOに職を求めようとしたが、次の就職先として選んだのは、台湾の日本語学校だ。中国語を習得することがこれからの人生に有益だと思いそこに入ることにした。私が勤めた学校の場合、もちろん日本語の教員免許があるに越したことがないのだが、なんらかの語学の教員免許がある日本人ならば就職できる。給料は、台湾人の大学新卒の給料＋20％増し程度である。衣食住の安定を取り戻した私は、日本語学の本に首っ引きの生活を送った。</P><P>日本語教師として教鞭を取るようになってから２ヶ月後、思いも寄らないチャンスが到来した。勤務先の学校に教材を卸す出版社からのオファーだ。給料は日本語学校の約2倍、年2週間の有給休暇と年1度のボーナスも付くという。文章を書くのも教えるのも好きな私は、二つ返事で話を受けた。</P><P>この仕事ははじめこそとても難しかったが、今ではいろいろな点で楽しい。仕事の内容は主に日本語学習者向けの月刊教育雑誌に日本文化、社会問題や時代の風潮を執筆することだ。入社して１年間は休日返上で働いた。それから２年半。今ではこの仕事が楽しくて仕方がない。自分で原稿の題材を見つけ、それについて執筆し、原稿に命を吹き込むのがたまらない。私の書いた記事で多くの学生が勉強したり楽しんだりしている。学習者からは、現在の日本の文化や傾向が分かり、かつ日本語も学習できる雑誌は他には見当たらないなどの声が寄せられる。学習者の声は私にとって仕事をする上で欠かせないエネルギーである。</P><P>台湾に来てから早3年。仕事にも慣れ、将来について考える余裕も出てきた。今の仕事は心から気に入っているが、台湾の年金制度はそれほど整っていないため、老後の生活を考えると安全ではないと思っている。それで、移転先に考えているのは、年金制度が整っているオセアニアの国である。もちろん、理由は他にもある。たとえば私の研究テーマを実践している団体が存在していること。また、特にニュージーランドの場合には、NPO運営を学ぶのに高等教育機関へ戻ろうとした場合、私がこれまでに修得した単位の移動がそれほど難しくないことだ。</P><P>これまでの経験から海外生活をする際には確認すべき三つの留意点があることを学んだ。一点目は、衣食住が確保できること。二点目は、将来進む道のオプションを何通りか考えておくこと。そして三点目は、その国でそれらの道を進むことが可能なのか調べておくことだ。</P><P>私は今、庭で台北101を見上げながらこの記事を執筆し、これから先の人生について考えている。人生について考えながら時を過ごすのは大学生だけの特権ではない。ジョン・スタインベックが『怒りの葡萄』のなかで言っているように「成長しようとしてうずく筋肉、単なる必要を乗り越えて何かを創り出そうとうずく精神。これが人間なのだ」から。</P><P>台北101の電気が消えた。私も床に就くことにしよう。明日もまた、愛すべき鶏の鳴き声と太極拳の音楽で目覚めるのだろう。</P><P>　</P><P><CENTER>　　　<HR><BR><A HREF="topics49">Topix<BR></A><A HREF="../index.html">Index</A></CENTER></P><P><CENTER>　</CENTER></P><P><CENTER>　</CENTER></P><P><CENTER>　</CENTER></P></BODY></HTML>