<!--This file created 08.7.26 1:29 PM by Claris Home Page version 2.0J--><HTML><HEAD>   <TITLE>ishikawa50j</TITLE>   <META NAME=GENERATOR CONTENT="Claris Home Page 2.0J">   <META HTTP-EQUIV="Content-Type" CONTENT="text/html;CHARSET=x-sjis">   <X-SAS-WINDOW TOP=43 BOTTOM=758 LEFT=4 RIGHT=534></HEAD><BODY BGCOLOR="#FFFFFF"><P><CENTER>ロシア語コンクールにて</CENTER></P><P>　</P><P>　11月17日、39回全道ロシア語コンクールが行われ、Ｂ部門(スピーチのみ)で私は主催者より賞をうけた。以下、私のスピーチを紹介する。</P><P>　</P><P>言葉</P><P>石川　主香</P><P>必要な言葉を見つけ出すことはなんと難しく、一方で人を侮辱したり、不快な気分にさせたりするような不必要な言葉を口にしてしまうことはなんと容易いのでしょう。</P><P>最近、私は言葉の使い方や態度に大変関心があります。わたしたちは人間関係において、まず第一に自分の利害を基準にして、人の価値を判断してしまうことが少なからずあるのではないでしょうか。</P><P>人の意見、人からの評価は大部分が主観的で変わりやすく、頼りないものです。それにもかかわらず、褒められるとやはり嬉しく感じ、陰口を言われると心に突き刺さるものです。さらに悪いことには、自分もまた、あるときは人を褒め、またあるときは賛辞を述べたのと同じ口で悪口を言っているのです。</P><P>陰口は争いの火を拡大させるようなものであるにもかかわらず、なぜ私たちは陰口をたたき、参加してしまうのでしょうか。動機はたくさんあります。</P><P>第一に、人を批判することは興味をそそり、楽しみをもたらすということです。</P><P>第二に、面前にいる人を喜ばせようとして、また単に会話を繋ごうとして、あるいは秘密を共有したいという抗い難い欲求から、悪口に参加します。</P><P>第三に、憎しみや怨みを晴らしたいという欲望から、などです。</P><P>　これらはすべて、自分のことを最優先に考えおり、悪口を言われる当事者の気持ちになろうとはしていません。</P><P>　みなさんは、陰口を諌めようとしながらも、つい悪口に参加してしまったという経験はあるでしょうか。自分の知り合いが陰口の槍玉にあがっているのを聞いて、もちろん参加こそしないけれども、思いがけず相槌を打ってしまい、そのまま引きずられてしまった、という経験は誰しも持っているのではないかと思います。そのときは陰口の対象になっている人にばったり出くわしたとき、何を言い、その人を真っ直ぐに見られるかどうかなどまったく考えていないのです。そう、いったん口を突いて出てしまった言葉は取り消せないのですから。</P><P>　しかし、口を開く前のほんの一瞬でも、自分の言動がはたして人の為になっているのかを考えることで口を制することができるのです。そして、そのときこそ、言葉はわたしたちの日常生活において、役立つものとなるのではないでしょうか。</P><P><CENTER>　<HR></CENTER></P><P><CENTER><A HREF="../50english/topic50">Topics<BR></A><A HREF="../index.html">Index</A></CENTER></P></BODY></HTML>