北海道新聞文化欄「魚眼図」より

「日蘭人」 (2001年2月)

氷点下十四度の夜。湖を覆う氷の上、雪のステージ。
通訳メモ用のペンのインクが凍って出ない。駐日オランダ大使の、
英語によるスピーチを日本語に通訳する場面。原稿もメモもなく、
緊張して待ち受ける私の耳に聞こえてきたのは、決して流暢ではないが、
正確で力強い日本語だった。
それは、千六百年のオランダ船漂着で始まった日蘭友好四百年を
記念する行事の一つ、阿寒国際スケートマラソンのフィナーレだった。
前日のレセプションや懇談会のように、冒頭部分のみ日本語で、
すぐ英語に切り替わるのだと思っていたが、日本語は続き、私は次第に
大使の言葉に引き込まれていった。
「...日本人はオランダ人を本から学びます。背が高い、髪が赤い、
鼻が高い。でもオランダ人皆がそうなのではありません。一人ひとり色々です。
ここにオランダ人はいません。ここに日本人はいません。皆、日蘭人です。」
話の区切り毎に会場から拍手。私も通訳者から聴衆のひとりになって
白紙のメモ帳を収め、マイクの側で大きく拍手をした。寒くても手袋をとっていて
良かったと思いながら。会場にも手袋を外して拍手する人が見えた。
次に聞こえてきた外国語が理解でず慌てたが、オランダ語だった。
同じ内容をオランダ選手たちのために括り返されたらしく、再び拍手。
殆どのオランダ人は英語が解かるとはいえ、やはり母国語が直接胸に響くらしい。
手袋をつけての拍手より素手の拍手の方が大きく響くように。
ステージを降りた大使の前には、握手を求める日蘭人たちの長い列ができた。
やはり、本人の肉声が伝えるメッセージに比べれば、通訳は、必要悪ではないまでも
次善の策に過ぎないのかもしれない。