「ポエトリー・カフェ」 (2000年5月)

東京の学生街にある、アメリカ人が経営するカフェで、英字新聞の詩評担当者が
企画する月例ポエトリー・リーディングが開かれる。私がゲスト出演した夜も、
様々な国籍や世代の人たちが集まった。ジョークを交え語りかける形式の
自己紹介や詩の紹介に、さっそく客席からユーモアたっぷりの答えが返ってきた。
明るい詩の上演中は、店中が拍手や手拍子や掛け声で盛り上がり、
じっくり聴く詩の時は視線やボディーランゲージで反応してくれた。
詩が終わる毎に客席からコメントや質問が飛び出した。一瞬、そこが懐かしい
アメリカやオーストラリアのポエトリー・リーディング会場であるかのような錯覚を
覚える程だった。
「日本の詩の朗読会って、どうしてツマラナイのが多いんでしょうね」。海外の
リーディングを知るN氏がポツリと言った。確かに「僭越ながら読まさせていただきます」
という神妙な出だしに続く、読み手と聞き手が視線を合わせることの殆どない
淡々とした朗読の後「大変失礼しました」の挨拶、型通りの拍手という場面もある。
じっくりと詩そのものを味わうには、余計なトークや大げさな表現は逆効果だという
批判も耳にする。
自己を他人に向けて開示・拡張し、言語・非言語チャンネルを駆使した双方向
コミュニケーションを重視する西洋文化。集団の中に自己を埋没させる
儀式的コミュニケーションを重視し、不特定多数の他者に対しては自己の内部を
開示しないことを美徳とする日本文化。どちらが良いかは別として、朗読会に見る
違いは対人関係の価値観の違いでもある。