「潜水艦の旅」 (2002年8月)

今年の夏、タイで開催された国際桂冠詩人会議に個人参加した後、
アジア詩人会議のため中国シルクロードを訪れる日本使節団に合流した。

タイでは、熱帯雨林を流れる川辺の文化村に滞在し、会議の合間に、主催大学の学生達に案内されて、
近くのお寺や学校や市場へも出かけた。屋台に腰掛けて土地の人たちと話しをし、
その日常生活を垣間見ることができた反面、有名な観光地を訪れる機会はなかった。


一方、中国の旅は、日・中・韓・モンゴル参加による全体会議、史跡や砂漠の史跡での自作詩朗読を含め、
自由行動無しの完全パッケージ会議ツアーという、私には初めての体験だった。
一日に何度も集合写真を撮り、食事は高級レストランで、毎回同じような料理を同じ顔ぶれで、同じような話をしながら食べる。
買い物は、ガイドの進める土産店で、決められた時間内で。


エアコンが効いたバスの窓から、埃っぽい道端で生活する人々を眺めながら、
ダグラス・ラミスが「潜水艦の旅」と呼んだ、「濡れずに海中を疑似体験する異文化通過」をしている自分に気づいた。
「自国の環境を、異国に持ち込む文化的傲慢さは、生の異文化に直接触れる機会を失わせる」という考え方である。


しかし、言葉や衛生面や安全面の心配なしに、効率的な旅が比較的安価に出来、団体内の親近感が深まる。
ガイドの流暢な日本語で、詩碑の歴史的背景から道端の草の名前まで、膨大な量の情報も流れ込んでくる。
行き先や目的によっては、こんな旅も必要なのかもしれない。どちらの旅の形態が、
より有益なのか、心に残るのかは、年月を経てみなければ分からない。