講談社学術文庫 (1998)
序章 ロシア的なるものとは
1.(3年) ===302H (未提出)
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2.(3年) ===319B
ロシアは見渡す限りの平原とタイガの大森林をもつ広大な大地である。ロシア人にとってこの広大な大地は、自由そのものである。
ロシア語のプラストールには、広々とした大地という意味と、自由、十分に活動できる余地という2つの意味があるが、西欧のどの言語にも対応する言葉のないこのプラストールという言葉ほど、ロシア人の自然感情を的確に表現する言葉はない。
ロシアの歴史で重要な位置を占めたタタールのくびきは、東方との交流によって美的趣味、顔の骨格の変化をもたらしたといわれている。しかし、東方ぼかりでなく、モンゴル・タタール支配時代には西欧との交流も活発だった。その主要都市がノヴゴロドとプスコフで、後にイヴァン雷帝によって破壊されてしまい、西欧との交流は断たれてしまう。交流が復活するのはピョートル大帝の時代である。
ヨーロッパに追いつきたいピョートル大帝は、強大な権力をふるって近代化、西欧化の政策を進めた。おかげでロシアは、18世紀以降ヨーロッパの大国となる。この広大なロシアを統率するのは、強権が必要である。モスクワ公国も、ピョートルも、ソビエトも極端なほど強権でなければ、統率はできなかっただろう。
ロシアのイメージとして1804年頃の日本人は琴線に直接ふれてくる身近な国として友好的なイメージだった。が、幕末、日露戦争、おそらく現代は、暗く、危険な国というイメージが大半の日本人にある。そして昔も今も謎めいた国という印象も深くある。それは日本人だけでなく、他国も同様に思っている。ロシア人は外国人のこのような考えに対して、ロシアをあれこれ外からながめても理解できるはずがないと思っている。ロシアの民衆は「忍耐」を美徳としているので、つつましく、ひっそりとした民衆の生活の中にロシア的なるものがあるのである。 [目次に戻る]
1.(3年) ===427K (再提出)
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2.(3年) ===304D
ロシアという言葉に対するイメージを聞いてみると、たいていの人は、大草原、大森林、大河のような大自然が浮かびあがってくるだろう。
プラストールというロシア語には、さえぎるもののない広大な空間という意味と同時に、自由という意味もある。西欧の言葉で自由を意味する言葉には、何かから解放されて与えられる自由という意味合いを帯びてくる。これに対し、ロシア語のプラストールという言葉には、自分の意志での自由、自分勝手というニュアンスを含んでいる。やがて、その自由を手にできないロシア人の中に、トスカーが生まれてくる。このトスカーという言葉には一方では、憂うつ、哀愁、寂しさという意味があるのだが、他方では、恋しがる気持ち、なつかしむ気持ちという意味を持っている。つまり、それは「心の病い」なのである。
19世紀の詩人レールモントフの『祖国』という作品や、国民的歌謡『祖国の歌』という歌には、自然の広大さと自由が、祖国に対するテーマとしてとりあげられている。それは限りなく広がる大地や、ゆったりと流れる大河が、ロシア人のふるさと本能をかきたてているからである。それゆえ、「母なるヴォルガ」と歌うのである。一方、我々のような島国で育った人間のふるさと本能に強く訴えかけてくるものといえば、やはり海であろう。
祖国、自然、民衆という言葉は<生み出す>という意味をもつ母性的な言葉の根源でつながっていて、祖国愛、自然愛、民衆への愛という、ロシア文学では切り離すことのできない3つの要素は、実は言葉の面で深くつながっているのである。
このように、自然をどのようにとらえるかについて考えるならば、我々はロシア人の自然観だけでなく、さまざまな方面にも目を向けておかなければならない。 [目次に戻る]
1.(3年) ===432F (未提出)
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2.(3年) ===310J
人間は、秋というと収穫の秋、実りの秋を思い浮かべる。秋には、祭りが開催されたりと喜ばしさが漂う。春もまた、寒い冬を追い払った喜ばしい季節として受け止められてきた。
この秋に対する感じ方が
うら悲しい秋のもつ不思議な美感が人々の心をとらえるようになり、
(中略)文学の世界では普遍的な感情となった。
この秋の感情が浸透した「センチメンタリズム」(感受性)の影響によりロシアでも秋の感じ方が変わった。プーシキンの『秋』という作品で、秋の美しさを紹介する。
第1連で、プーシキンの考える典型的なロシアの秋を描写している。第2連でプーシキンは、「春が好きではない」ということを愁い、憧れの2重の意味を表現する「やり切れぬ」「やるせなさ」という語を用いて、心の苦しみを訴えている。一方、冬については「厳しい冬にはずっと満足している」と語る。第3連で、冬が好きだという理由を書いている。第4連で、もし夏に不快なものがなかったら好きだったかもしれないと語り、冬の賛美を老婆にたとえ説明している。第5連からロシア的自然であり、ロシア人にとっての美徳である「スミレーニエ」(つつましい、貧しい)に秋の魅力を語る。第6連、第7連では滅びゆく乙女の美しさを比喩に生きることの価値を語っている。以下第8連から第12連までプーシキンの描写が続く。
この詩のどこからも「プーシキン的特徴 − 簡潔、平易、客観性、軽妙さ、ユーモアさ」を感じとることができる。またプーシキンをはじめロシアの詩人の詩には「感情や感受性だけではなく、ある根元的な、口先だけではない『思想』がこめられている。」つまり最高の美徳が「スミレーニエ」と考えるロシア人にとって秋は、それを共感できる魅力的な季節なのだ。 [目次に戻る]
1.(4年) ===411D (未提出)
2.(3年) ===322B (未提出)
1.(4年) ===902B (未提出)
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2.(3年) ===324J
ロシアはスラヴ人の国で、スラヴ人全体の故郷は、現在のポーランド・ベラルーシおよび北西ウクライナの一部にあたると考えられている。東方に進出したスラヴ人と南下したノルマン人が同化することとなるが、ノルマン人たちの交易は毛皮と奴隷が中心で、いずれもイスラム商人によって良い値で引き取られてたのである。「原初年代記」にはヴォルガ流域のトルコ系遊牧民が859年にスラヴ人に貢税を課して、銀貨とリスの毛皮を取り立てたとの記述がある。リスの毛皮は、当時銀貨と同じように一種の貨幣単位を形成していたという。
毛皮の中で最も珍重されていたのは黒貂で、ロシアだけでなく欧米などでも貴族だけがその着用を許されたということが多くあったという。またロシアでは黒貂の帽子の高さを位によって決めたことがあった。
毛皮類の主産地だった北部ロシアは争奪戦の的になり、16世紀にはウラルから太平洋にかけての広い地域が毛皮の宝庫であることがわかり、これによってシベリアの開拓が急激に進められた。ヨーロッパでの毛皮の需要は高まる一方で、商人達はコサックの遠征軍を送り、毛皮の収奪によって大きな利益をあげた。18世紀には、更にベーリングがカムチャッカ・アリューシャンを探検し、この地方の毛皮は広く知られることとなり、毛皮フィーバーが起きた。18世紀末には露米会社が作られ、キャフタからカリフォルニアにまたがる交易市場がロシア人によって作り上げられた。しかしこの会社もやがてラッコ、ビーヴァー、あざらし、黒貂などの乱獲によって衰退してしまった。
ロシア人は風邪予防のため帽子を重視している。最近は暖房が完備されてきているが、シベリア地方では今もその毛皮の伝統が続いている。帽子にはもちろん毛皮が用いられる。 [目次に戻る]
1.(3年) ===315K (未提出)
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2.(3年) ===329K
ロシアでは、大半の道路が自然の姿そのままといった方がよかった。「道路がない」という概念を表す単語(ベズダロージエ)が存在するのである。
このようなロシアの道路が、悲しげな風景と躍動的な馬と御者を対比させているプーシキンの有名な詩『冬の道』にも出てくる。自然そのままのデコボコしている道路は、冬には、降雪のために快適に走行できるのだ。また、17世紀以来、交通手段として駅馬車が走っていた。
1891年から1905年にかけて建設されたシベリア横断鉄道がやっと完成された。鉄道は産業文明の最も端的な表現として、文学のかっこうのテーマとなった。
多くの文学作品の中に鉄道は出てきた。ドストエフスキーの『白痴』、トゥルゲーネフの『煙』、トルストイの『アンナ・カレーニナ』。チェーホフも多くの作品に鉄道が出てきた。
現在のロシアの汽車は、車体が大きく、お茶好きのロシア人らしく、車掌のところでいつでもお茶が飲めるようになっている。鉄道は便利な交通手段となっている。それと同様に水路もまた大切な役割をはたしている。輸送手段としては最も重要である。
河はロシア人にとっては、ひたすらやさしく、ロシア人も河に対する心からの親愛の情を表明するのである。
今も大切な役割をはたしている水路を与えたのも河であるから、ロシア人は河に対して親愛の情を表わすのだ。
文学作品にも多く出てきた鉄道、ロシア人の愛する河から与えられた水路、今もまだ多くが未舗装のままの道路。いずれも大切な交通手段である。しかし、広大な国(ロシア)の交通をまかないきれないのである。そのため飛行機が身近な交通手段として重要な役割をはたしている。また、飛行機の操縦士が軍人出身なので、技術が高く、事故も少ないようである。 [目次に戻る]