<!--This file created 98.12.16 15:29 by Claris Home Page version 2.0J--><HTML><HEAD>   <TITLE>choushouji-j-22</TITLE>   <META NAME=GENERATOR CONTENT="Claris Home Page 2.0J">   <META HTTP-EQUIV="Content-Type" CONTENT="text/html;CHARSET=x-sjis">   <X-SAS-WINDOW TOP=42 BOTTOM=757 LEFT=4 RIGHT=534></HEAD><BODY BGCOLOR="#FFFFFF"><P><CENTER><FONT SIZE="+2"COLOR="#AF0000">「生」を撮る〜長倉洋海〜</FONT></CENTER></P><P ALIGN=RIGHT>1年　長正路幸</P><P>　「右目でファインダーを、左目でそこには映らない世界を」先輩に教えられたこの言葉を胸に、フォトジャーナリストである長倉洋海氏は、18年間世界の紛争地を舞台に写真を撮り続けてきた。ここで彼の目に映し出されたのは、戦争の悲惨さや悲しみだけでなく、戦争の陰でたくましく生きる人々だった。</P><P>　長倉洋海氏は1952年、釧路市に生まれた。同志社大学在学中は探検部に所属し、その活動の中でカメラを使い始めた。その当時、新聞では連日ベトナム戦争の様子が報じられていた。以前から感動を人に伝えるような仕事に就きたいと考えていた長倉氏は、戦争の現実、そして、それを写真を通して伝えようとするカメラマンの生き方にひかれ、フォトジャーナリストになったのである。長倉氏は1980年からアフリカ・中東・中南米・東南アジアなど、銃弾の飛び交う戦場へ足を運び、撮影と取材を重ねてきた。</P><P>　先日、サッポロ・ファクトリー内のコニカプラザ・サッポロで、写真展「獅子の谷へ〜アフガニスタン　1995〜97」が開催され、初日には長倉氏本人による講演も行われた。長倉氏は1年の半分以上を外国での撮影活動に費やしている。そして、帰国すると全国各地で積極的に写真展を開催し、写真集を出版する。</P><P>　長倉氏は、それぞれの写真に必ず短い説明を書き添えている。それを付け加えることによって、映し出された人々の感情や状況が見る側に伝わって来る。そのため、ただ遠い国の人々として見るのではなく、自分の知り合いであるかのように、親近感をもって想像することができるのである。</P><P>　フォトジャーナリストになった当初、激戦地の劇的なシーンを撮ろうと意気込んでいた長倉氏の目は、戦争の悲しみや、貧困の苦しみにも屈することなく生きる人々に向けられるようになった。中でも子供たちの笑顔はとても明るい。そこが紛争地であるということを忘れてしまう。多くの死を習慣的に目の当たりにし、「死」そのものへの衝撃がうすらいでゆく紛争地。しかし、だからこそ人々は「生きている」という実感を味わいながら、1日1日を大切に暮らしている。そんな人々の姿は、日本で何不自由なく暮らす私達に、幸せとは、豊かさとは何か、自分の生活を振り返らせてくれるのである。</P><P>　長倉氏は、撮った写真をできるだけ本人のもとへ手渡しに行く。流れ弾や地雷、伝染病の不安も絶えない戦場では、長倉氏自身も常に「死」と隣り合わせである。しかし、18年もの間そこへ足を運び続け、カメラのレンズを通して多くの人々との信頼を築いてきた。写真が増えると同時に、長倉氏にとってかけがえのない人々が増えていくのである。</P><P>　紛争地だからこそ「死」よりも「生」を撮り続けてきた。そこでは、人々の生きる力を見せつけられる。そんな人々のもとへ、長倉氏は危険を冒してまで出向き、シャッターを切らずにはいられないのだろう。</P><P><CENTER><HR><B><FONT SIZE="+1">Russian</FONT></B></CENTER></P><P><CENTER><B><FONTSIZE="+1"><A HREF="../22english/22topics.html">Topics</A></FONT></B></CENTER></P><P><CENTER><B><FONTSIZE="+1"><A HREF="../index.html">Index</A></FONT></B></CENTER></P></BODY></HTML>