<!--This file created 99.8.6 15:33 by Claris Home Page version 2.0J--><HTML><HEAD>   <TITLE>morita-j-23</TITLE>   <META NAME=GENERATOR CONTENT="Claris Home Page 2.0J">   <META HTTP-EQUIV="Content-Type" CONTENT="text/html;CHARSET=x-sjis">   <X-SAS-WINDOW TOP=42 BOTTOM=757 LEFT=4 RIGHT=534></HEAD><BODY BGCOLOR="#FFFFFF"><P><CENTER><B><FONT SIZE="+2" COLOR="#0000AF">『MIMI』</FONT></B></CENTER></P><P ALIGN=RIGHT>２年　森田真衣</P><P>「おばあちゃんの口は何故そんなに大きいの？」<BR>「それはお前を食べるためさ！」と言って、<BR>　悪い狼は赤ずきんちゃんをむしゃむしゃ食べてしまいましたとさ。<BR>（シャルル・ペローの“教訓”童話集　１６９７年　より）</P><P>　誰もがよく知るグリム童話の『赤ずきんちゃん』の、１００年昔に書かれた、シャルル・ペロー版では、彼の童話集の中で唯一の、不幸な結末をもつ。そして、そのペロー版『赤ずきんちゃん』をモチーフに、舞台を現代の巴里に移して、映画として甦った作品、それが『MIMI』である。</P><P>　母親が自殺未遂を起こして入院したため、おばであるソランジュのアパートに引き取られたミミは、そこで、人種差別や男性優位的な発想や幼児性愛といった、大人たちの隠れた感情が渦巻く、暗く澱んだ日常と出会うことになる。カメラはその淡々とした日常を追いながら、しかし、おとぎ話の幻想的な空気を吹き込んだ監督の演出によって、単なる退屈な出来事の羅列を免れた。</P><P>　監督は、これがデビュー作となるルシール・アザリロヴィック。彼女は、以前ロングランヒットを飛ばし、未だ人気の衰えないカルト映画『カルネ』の監督ギャスパー・ノエの公私にわたるパートナーとして知られる。９１年にフランスで公開された『カルネ』は、馬肉屋の主人と口をきかない少女との日常を不気味な赤い血のイメージで描いて、話題を呼んだ。日本でも単館レイトショーの興行新記録を作り、“ビザ−ル・シネマ”（世紀末のアブノーマル感覚を漂わせ、見る者を陶酔の境地に誘う映画）というフレーズを流行らせるまでにも至った。公開当時、良識派の批評家たちのひんしゅくを買った作品ではあったが、人気ファッションデザイナーのアニエスb.は、「物語が力強く詩的で、肉塊のように生々しく冷たいと同時にやさしさやほのかな甘さがある。今までのどんな作品にも似ていない、まさに、私の求めていた映画だ。」と絶賛し、今回彼女が『MIMI』の資金提供を申し出たことによって、ルシールの監督デビューが実現したというわけだ。</P><P>　ルシールが『MIMI』で描こうとしたのは、映画にありがちな作為的な恐怖ではなく、実際の日常生活に存在する不安感である。原題が『LABOUCHE DEJEAN-PIERRE』（ジャン=ピエールの口）となっているように、映画の中では何度か登場人物の口がアップで映し出されるのだが、その口は会話をするためのものではなく、罵りの言葉を吐いたり、愚痴をこぼしたり、時には精神安定剤や睡眠薬を飲むために用いられるだけである。ミミを安心させる術を知らないソランジュが、落ち着かせるために錠剤を飲ませるシーンは何とも痛ましい。この映画では、薬を飲むシーンが、息苦しい社会から逃れる幸せな一時として描かれているのだ。そして、ミミが、ソランジュの恋人であるジャン=ピエールの好色の犠牲となるシーンは、執拗なまでの緊迫した長回しで撮影され、観客は、このシーンが永久に続くのではないかという絶望感を味わうことになる。画面全体が、恐怖感を掻き立てる緑色と黄色で意識的に構成されてはいるが、特別な照明や撮影方法は一切使われていない。５２分という短い時間に凝縮された現代版赤ずきんちゃんの物語は、休息の場として描かれている母親の病室へ向かいたいがためのミミの自殺未遂、という結末によって幕を下ろす。</P><P>　この映画で、撮影と美術監督を担当した前述のギャスパー・ノエは、「アニエスb.が、自分たちに資金を提供してくれたのは、彼女が愛して止まないジャン=リュック・ゴダ−ルやスタンリ−・キュ−ブリックといった映画監督たちに共通するテイストを、僕らの作品に感じてくれたからではないか」と語っており、今後もこのギャスパーとルシールのコンビが、ありきたりな商業映画に慣れ切った不感症気味の観客たちに、衝撃を与え続けることは必至である。現にギャスパーは、『カルネ』の続編に当たる『SEULCONTRETOUS』（みんなは僕の敵）の製作に４年の歳月を費やしており、現在、公開が待たれている。彼らの作品は、過激でありながら、哀感を漂わせ、時にユーモアすら感じさせる。世紀末を迎え、彼らの作り出すシュールリアリズムの世界は、ますます需要を高めていくに違いない。そして其の度に、道徳家たちは悲鳴をあげ、我々はその独創的な映像に酔いしれることになるだろう。</P><P><CENTER><HR><A HREF="../23english/23topics.html">Topics</A></CENTER></P><P><CENTER><A HREF="../index.html">Index</A></CENTER></P><P><CENTER>　</CENTER></P></BODY></HTML>