<!--This file created 00.7.8 5:36 PM by Claris Home Page version 2.0J--><HTML><HEAD>   <TITLE>imagawa26j1</TITLE>   <META NAME=GENERATOR CONTENT="Claris Home Page 2.0J">   <META HTTP-EQUIV="Content-Type" CONTENT="text/html;CHARSET=x-sjis">   <X-SAS-WINDOW TOP=42 BOTTOM=613 LEFT=4 RIGHT=534></HEAD><BODY BGCOLOR="#FFFFFF"><P><CENTER><B><FONT SIZE="+2">コミュニケーションを学ぶこと</FONT></B></CENTER></P><P>　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　1年　今川路恵</P><P>　今、日本の学校は生徒達の間でのいじめ、援助交際、登校拒否、少年犯罪などさまざまな問題に直面している。</P><P>　この様な問題が発生するたび、私達は思わず問いかけてみることがある。学校とは何か。学校はどこに目をつけているのか。</P><P>　今の時代の生徒に出会うと、時折、愛情のない冷酷な心が見受けられる。「傷ついた心」、「荒廃した心」、それが現代日本に特徴的な表現である。小学校高学年に始まり、未成年期に終わる教育期間を通して、精神的な成熟を伴うとはお世辞にも言えないが、子供の肉体的な成長が起こる。未成年には時として心の傷があらわれ、その傷は癒されることなく、誰の目にも見えないにもかかわらずますます深くなっていく。</P><P>　心の痛みは、自殺や犯罪を引き起こす。例えば一人の生徒が年少の生徒を殺した神戸の残忍な殺人事件のように、日本中に知られるようになる。</P><P>　教師が生徒の病んでいる、傷ついている心に気付かないのはなぜか。原因の一つと考えられるのは、コミュニケーションの築き方に対しての無能力さやうちとけることのない教育や躾、そしてまた、教師が教えたり育てたりしている相手に対する無知、無理解にあると思う。いじめの犠牲になったことのない人はそれがどれほどひどいものかを理解することはできない。そもそも、見たり経験したりしたことのない物自体を想像するのは難しい。教師は生徒が理解できないし、自分心を彼らに開くことにもさほど急がない。教師はひどい事件についてはすべて、事が起こった後で知るのである。</P><P>　教育者にとって最も重大な課題は、心を開いて話しをする能力だと思う。そのために必要なのは、先生と生徒の間で継続的に会話がはかられ、お互いに信頼し合うことである。そうしないと、どんな話し合いもうまくいかない。</P><P>　最近では教師や生徒だけでなく、保護者や地域住民など、さまざまな人間が互いに共通の言葉をみつけられないでいる。</P><P>　1997年、教育職員審議会では教師と生徒のコミュニケーション問題を検討している。しかし、この問題の緊急性がまったく明白であるにもかかわらず、この方面でなされたことはほとんど何もない。教育的にうまくしつらえたコミュニケーションこそが、未成年の精神的傷を癒すことができる。</P><P>　教師にコミュニケーション技術を習得させる講座が創られた。もちろんそれは、教師が自分達の生徒と共通のことばをみつけられるように援助はする。教師の課題は、授業を行うだけでなく、知性と心を育て、影響を与えることでもある。そのためには、生徒が言わんとしていることに耳を傾け、回答に必要なことばを見出すことである。</P><P>　コミュニケーションの問題は学校のみならず、あらゆる社会レベルでも重要である。上手なコミュニケーションによって容易に克服できるのは、なにも生徒の心ばかりではあるまい。</P><P><CENTER><HR><A HREF="../26english/26topics.html">Topics</A></CENTER></P><P><CENTER><A HREF="../index.html">Index</A></CENTER></P><P><CENTER>　</CENTER></P></BODY></HTML>