<!--This file created 02.4.28 3:49 PM by Claris Home Page version 2.0J--><HTML><HEAD>   <TITLE>kimura32j</TITLE>   <META NAME=GENERATOR CONTENT="Claris Home Page 2.0J">   <META HTTP-EQUIV="Content-Type" CONTENT="text/html;CHARSET=x-sjis">   <X-SAS-WINDOW TOP=43 BOTTOM=758 LEFT=4 RIGHT=534></HEAD><BODY BGCOLOR="#FFFFFF"><P><CENTER><B><FONT SIZE="+1"COLOR="#AF0000">インディンアンであることは簡単だが、ラコタ族であることは難しい</FONT></B></CENTER></P><P ALIGN=RIGHT>4年　木村　吾勝</P><P>　私はネブラスカ州立大学リンカーン校に留学しているときに、サウスダコタ州のあるインディアン保留地を訪れた。目的は日本の文化を紹介するためと、実際のネイティブアメリカンの生活を見学するためだ。私は病院、国立公園、博物館といくつかの学校を訪ねた。</P><P>　私が訪問したローズバッド保留地にはラコタ族が住んでいる。彼らはスー族とも呼ばれ、映画のダンスウィズウルブズに登場した事でもよく知られている。かの偉大な戦闘酋長クレイジーホースはラコタ族の出である。保留地のあるトッド群はとても貧しい地域で、全世帯の47％が貧しい生活を強いられている。</P><P>　ある日、私は高校のラコタ語の授業に参加した。もはやラコタ語は彼らの母国語ではなくなっていて、今となっては、彼らは子供の頃から英語を使って生活しているのだ。だから彼らは学校でラコタ語の文法や単語を覚える必要がある。ラコタ語は彼らにとって第二言語と言うよりは、外国語のような存在である。さらに、ラコタ語のクラスを取る生徒の数が年々減っている、なぜならラコタ語は実用性ないからである。</P><P>　授業の後、私は壁に貼られている紙に印刷された興味深い言葉を見つけた。紙には「インディアンであることは簡単だが、ラコタ族であることは難しい」と書いてあった。それはインディアンというものは身体的な分類で、もしどちらかの親がインディアンであるなら、必然的にインディアンになれるが、ラコタは民族であるから、ラコタ族でありたいのなら努力をしなさいという意味だ。昨今、急速になくなりつつある文化を維持する必要があるのだ。ラコタ族として生まれるのではなく、ラコタ族にならなければならないのである。</P><P>　その言葉は私にとって大きな発見であった。なぜなら私はそれまで日本人になるということを考えたことがなかったからだ。私は日本に生まれ、日本で育ち、日本語を話す。私は日本人である。しかし、日本人になるための努力をしたことがない。日本で生まれ育った日本人にとってそれは自然である。我々のほとんどは私達自身文化を維持するために特別な注意を払うことはない。なぜなら私達は多数派、つまり支配民族であるからだ。</P><P>　私は自分自身の文化を知ることの重要さをこの経験から学んだ。私達はよく「国際的」という言葉をよく使う。しかし、この紙を読む以前は間違った使い方をしていたと思う。自分自身の文化とそれを維持する大変さを知らない者は他の文化に敬意を払うことは出来ない。国際人になるためにはまず、日本人になる必要があると私は強く思う。</P><P>　アメリカ先住民を取り巻く環境は悪化している。米政府は同化政策を取っていて、先住民の血を1/4以上引いていないと先住民族として認められないのである。従って、今日では「インディアンであること」すらも難しくなってきている。全ての人が自分たちの言葉と文化を保つ重要さに気付くのを私は望む。</P><P><CENTER>　<HR><A HREF="../32english/32topics.html">Topics</A><BR><A HREF="../index.html">Index</A></CENTER></P><P><CENTER>　</CENTER></P></BODY></HTML>