<!--This file created 04.2.1 6:15 PM by Claris Home Page version 2.0J--><HTML><HEAD>   <TITLE>lim37j</TITLE>   <META NAME=GENERATOR CONTENT="Claris Home Page 2.0J">   <META HTTP-EQUIV="Content-Type" CONTENT="text/html;CHARSET=x-sjis">   <X-SAS-WINDOW TOP=43 BOTTOM=758 LEFT=4 RIGHT=534></HEAD><BODY BGCOLOR="#FFFFFF"><P><CENTER><B><FONT SIZE="+2">札大における「偶景」</FONT></B></CENTER></P><P>　</P><P ALIGN=RIGHT><FONTSIZE="+1">大学院文化学研究科2年　林　漢春（リム　ハンチュン）</FONT></P><P>　</P><P>　「9.11は世界を変えたか」、「アメリカによる報復戦争は正当なものか」などの問いに対して、ネオリベラルやネオコンといった立場の《知識人》も、ラディカルな左翼の《知識人》も「勢いよく」自分たちの論調をマスメディアを通じて発信してきた。そのなか、そういった知識人たちが取り上げるに値しないほどの或る《小さな事件》がわたしの平凡な日常生活に起こったのだ。それはまだ夏休みのさなかだった9月、札幌大学の元中国人留学生が入管難民法違反（資格外活動）の容疑で逮捕された事件である。</P><P>　その元留学生は大学当局から退学の処分を受け、日本で裁判を受けることになった。しかし、このできごとはこれだけで済まずに、その後道警による構内立ち入り強制捜査を受けることになった大学側はとうとう「パニック」に陥ってしまう。つまり強制捜査があった当日、NHKや民放各社から取材カメラが殺到し、その一部始終がテレビにながれ、今回の事件は大袈裟にも「大学創設以来の不祥事」（札幌大学ホーム・ページ）となってしまったのである。</P><P>　パニック状態の大学当局が真っ先にとった行動はマスメディアを逆に利用するプロパガンダであった。今回のできごとによってこれまで以上にその政治的・社会的脆弱性が浮き彫りになった留学生たちを理解しようとする動きは見られずに、強制捜査があったあくる日すべての留学生に「訓告」たるものが送られ、全員集合が命じられた。その場にはいうまでもなく――当局のプロパガンダとしての――NHKのカメラが入ってきていたのである。</P><P>　一瞬にして「不良国家」ならぬ「不良外人」になった留学生たちは、大学当局に貯金通帳を提出するように要求され、これから大学の管理に協力しなければ食事券を今さら支給しないと脅迫まがいなことを言われたのである。大学当局にとってすべての留学生はいつ何をヤラカスカ分からない潜在的なトラブルメーカーでしかないし、またかれらにたいして不条理な管理体制を強化することでマスメディアと社会に自己弁明を繰り返すだけである。</P><P>　（これまで見てきた一連のながれから想起されるのが、スタンリー・コーエンの「モラルパニック」理論である。コーエンはある事件やできごとが行政、マスメディア、識者らによって社会的価値や公共の利益への脅威として描き出され、場合によっては対応策が講じられるにいたるプロセスをモラルパニックといい、パニックは十分な根拠があるのではなく、支配的な権力がイデオロギーとして捏造するものとみなし、メディアにおける人種や若者の表象を批判している（StanleyCohen, Folk　Devils and Moral Panics, Oxford up,1987）。遠い英国の理論ではあるが、最近いくつかの少年犯罪がマスメディアによってモラルパニックを引き起こし、そのたび少年法改正が議論されることからその理論は日本でも有効であるとおもわれる。ついでに、長崎の幼児殺害事件で監視カメラに依存する形で安全を守るという考え方が若者や外国人を根拠なく危険視する風潮とともに拡張しつつあることもこれから議論していかなくてはならない。）</P><P>　危機というのは9.11事件や戦争のような《大きな事件や歴史的なできごと》においてのみあらわれるのではない。むしろ、わたしたち一人ひとりは日常のどこかに隠れて突然おとずれてくる「アンシダン偶景」（incident）という危機により敏感かつ独創的に対応する必要があるかもしれない。</P><P>　これまで「札大における偶景」について述べてきたが、拙文はバランスの取れたものではない。これは飽くまで「わたし自身」（けっして留学生全体ではなく）が日常の政治学的な権力作用へ独創的に対応するための「自分なり」の仕方にすぎない。ある言説の受け取り方は、階級、人種、ジェンダーなどによってまったく異なるゆえに、今回のできごとに対しても異存はあるはずだ。大学当局からの見方は当然わたしと違うだろうし、逆に女子中国人留学生は事件後わたし（男子韓国人留学生）よりも更に厳しい葛藤や対立があったかもしれない。すべてのスタンスを代弁するというのは幻想にすぎない。たとえば今回大学当局とメディアによる留学生という他者にたいする表象という問題を見てみても、最初から客観性なんか存在せず、その他者の表象にすでに或るフレームがあって、そのフレームのなかで他者＝留学生が語られていたことを考えなくてはならない。</P><P>「福岡一家惨殺事件」以降さらに頻繁に放送される『犯罪捜査24時間―追跡！外国人窃盗団』のような番組は典型的なメディアにおける他者の表象の例である。こういった番組のために全国の留学生が肩身の狭い思いをしていても、留学生のための発言はあまり見当たらないのが現状である。つねにマイノリティの側に立っていたエドワード・サイードは、知識人とは「アウトサイダーであり、『アマチュア』であり、現状の攪乱者である」べきだと述べている。それは《大きな事件や歴史的なできごと》、すなわち9.11や戦争のような非日常の状態を、自らの日常として捉えなおす作業を行わなければならないと訴えているに相違ない。今回の札幌大学における「偶景」を通じて、監視・管理社会になりつつある今の世界の全体像が見えてくるような気がするが、わたしたちは《アマチュア知識人》として日常における危機の突破口を探していかなければならない。</P><P>　</P><P>※「アンシダン偶景」（incident）＝偶発的な小事件</P><P>　</P><P>　</P><P>解説：　札幌大学の元中国人留学生が入管難民法違反（資格外活動）の容疑で逮捕された事件」に対し、ある意味で当事者である現在留学生中の学生はこの事件をどのように考え、大学側の対応をどのように受け取ったか、韓国人留学生、林　漢春（リム・ハンチュン）君と中国人留学生、劉　陽（リュウ・ヨウ）さんの感じるままを新聞に載せることにした。大学側の教育方針やこの事件の対応がこのとおりであったかどうかは問うことをせずに載せるので、不都合なことがあるかもしれないが、彼らが訴える赤裸々な気持ちを読んでいただきたい。（編集長、金野）</P><P><CENTER><HR><A HREF="../37english/topics37.html">Topics</A><BR><A HREF="../index.html">Index</A><BR>　</CENTER></P><P><CENTER>　　　</CENTER></P></BODY></HTML>