<!--This file created 07.2.8 10:25 PM by Claris Home Page version 2.0J--><HTML><HEAD>   <TITLE>takahashi46j</TITLE>   <META NAME=GENERATOR CONTENT="Claris Home Page 2.0J">   <META HTTP-EQUIV="Content-Type" CONTENT="text/html;CHARSET=x-sjis">   <X-SAS-WINDOW TOP=43 BOTTOM=758 LEFT=4 RIGHT=534></HEAD><BODY BGCOLOR="#FFFFFF"><P><CENTER><B><FONT SIZE="+2">海外だよりNo.10</FONT></B></CENTER></P><P><CENTER><B><FONTSIZE="+2">宝石デザイナーとしてアメリカに住んで</FONT></B></CENTER></P><P ALIGN=RIGHT><FONTSIZE="+1">英語学科　2000年度卒業生　高橋　慎哉</FONT></P><P>　</P><P>　札幌大学の交換留学生になったことがきっかけとなり、アメリカに移住して、早いもので６年の歳月が経ちました。当時、卒業して就職するまでには学位だけでなく、何かこの先の人生を豊かにするものを身につけたいものだと願っていました。子供の時から物を作るのが好きで、ボール大学（BSU）に留学したときは留学生クラスだけでなく芸術のクラスを取ろうと決めました。とても幸運で、芸術学部で勉強ができました。そこで指導教官のパトリシア・ネルソンに会ったことが、この先の進路を変えるものとなりました。彼女は私のBSU在学中、私を励まし、彫金の能力を最大限に引き出してくれました。しかし、その当時は彫金および、芸術をキャリアとして進む気もなく、大学院に進むという考えもありませんでした。</P><P>　その後、一年間の交換留学を終え、札幌大学の学位を終了するため札幌にもどりました。卒業後、留学時に会った妻と結婚し、彼女が学位を取るあいだ、アメリカに引っ越し、BSUのあるインディアナ州マンシー市に住むことにしました。その後、すぐ娘が生まれ、インディアナポリス市で日系の貿易会社に就職し、輸出入業務に携わりました。</P><P>アメリカで就職をするには、当たり前なことですが、英語を話すほかに何か能力がないと駄目です。これは、私が交換留学生の時に留学生アドバイザーから言われたことですが、実際に良い職業を見つけようとするまで、そのことは、あまり気にかけていませんでした。この国では誰でも英語は話すわけで、英語を流暢に話せないことは不利な条件になるのです。幸運にも、そのときは、日本語が話せるという能力が利点となり、仕事が見つかりました。</P><P>　その日系の会社で３年間働いた後、2003年にBSUの大学院に戻ることを決意しました。理由はアメリカの大学から修士号を取得することであり、また、クリエイティブな仕事に就けるように技術を身につけることでした。ボール・ステイト大学はその頃、芸術学部の校舎とプログラムを新しくし、中西部で最も恵まれた環境が整っていました。教授陣と新しい設備もさることながら、恩師のもとで彫金を学ぶのはとても興味深いものでした。大学院在学中の専攻は機械を使って作り上げたものに手作業を施したジュエリーを作るというものでした。２年間をパット・ネルソン教授のもとでグラジュエイト・アシスタント（授業を受け持つ大学院生、手当てが支給される）として過ごし、大学院を卒業しました。</P><P>　2005年、大学院卒業後は、マンシー市に住む理由がなくなりました。マンシーは小さな町で、アーティストには保守的な環境でもあります。生活費は安く、生活には不便はありませんが、仕事はあまりなく、ましては、芸術関係の仕事はほとんどありませんでした。それで、シアトル市に引越すことにしました。町中にギャラリーがあふれ、芸術を支持する人々が大勢いるシアトルは芸術家が住むにはいい環境が整っているのです。また、太平洋に面した地で生まれ育った私としては、海がなくて寂しい思いをしていました。太平洋岸北西地域には、日本人が多く住んでいるので、たいていの日本の食材や本などが買え、中西部よりも文化的に快適に生活ができるのも魅力でした。</P><P>現在は、シアトルの宝石店でCAD（コンピューター援用設計）ジュエリー・デザイナーとして働いています。お客さんの希望にそって、コンピューターの立体プログラムを使ってジュエリーをデザインするのは、やりがいのある独創的な仕事です。自分のしたいことをしながら、生計をたてることができる今の仕事に就け、とても幸せに思います。現在の仕事が人生においての最終地点である、と思っているわけではありませんが、芸術をキャリアにして成功するという私のゴールに向かっての第一歩であります。旅行に行くときに地図をもっていくように、目標に向かって先見を持つことは重要です。</P><P>　アメリカでの６年間の生活を経て、自国以外での生活は予想以上に大変なことがわかりました。それぞれの国はいい所、悪い所を兼ねそなえていて、しばらくの間、住んでみるまでそれは見えてきません。今でもよく新しい発見があり、ここでは外国人なのだと感じてしまうことがあります。しかしながら、日本を客観的に見るようになり、私はもう純粋な日本人でもないような気がします。国際化の波は私の国籍を消してしまったようです。</P><P><CENTER>　<HR><A HREF="../46english/topics46">Topics<BR></A><A HREF="../index.html">Index</A></CENTER></P><P>　</P><P>　</P></BODY></HTML>