<!--This file created 08.7.26 1:06 PM by Claris Home Page version 2.0J--><HTML><HEAD>   <TITLE>tabata51j</TITLE>   <META NAME=GENERATOR CONTENT="Claris Home Page 2.0J">   <META HTTP-EQUIV="Content-Type" CONTENT="text/html;CHARSET=x-sjis">   <X-SAS-WINDOW TOP=43 BOTTOM=758 LEFT=4 RIGHT=534></HEAD><BODY BGCOLOR="#FFFFFF"><P><CENTER><B><FONT SIZE="+2">いのちの食べかた</FONT></B></CENTER></P><P ALIGN=RIGHT><FONT SIZE="+1">1年　多羽田　結衣</FONT></P><P>　</P><P>最近、テレビでは食の安全性に関するニュースが飛び交っている。家畜の病気や食肉の偽装問題、加工食品の異物混入事件など、その種類や原因は様々である。これらは工場での衛生管理の不徹底や、安全な食品を提供するという自覚や責任の欠如が原因である。しかし、ふと疑問に思った。私たちは、自分の目の前にある食べ物が一体「何」であるのか、「どこ」から「どうやって」きてこの食卓に並んでいるのかを、わかっていないのではないだろうか？</P><P>先日、食に関するドキュメンタリー映画を観た。OUR DAILYBREAD邦題「いのちの食べかた」だ。上映時間が夜だったにも関わらず、映画館は満席だった。この映画はオーストリア人の監督ニコラウス・ゲイハルター監督が撮影したものである。監督は作家性の強いＴＶや映画のドキュメンタリーを中心に製作しており、国際的な映画祭などでの受賞歴も多い。この作品も、2005年に公開されてから数々の映画祭で賞を受賞している。日本では2007年から上演されている。</P><P>　この映画は全編93分の間、ＢＧＭが無い。いや、ＢＧＭは機械の音、植物に水を撒く音、果物を木から採る音、ナイフで肉を削る音であり、家畜の血や体液が吹き出る音、それを水で洗い流す音なのである。食材は私たちがスーパーで見かけるパック詰めの食品の姿になるまで、そういった音に囲まれた長い旅をする。</P><P>　最も衝撃的な場面は、食肉用の牛を屠殺するシーンである。牛は機械の中に入れられて、人間が牛の額をハンマーで一撃し、一瞬でその命を奪う。牛はその場に崩れ落ちるが、その目は生きていたときと変わらず、見開かれたままである。私はスクリーンの中の牛のその目と、私の目が合ったかのように感じた。怖かった。だが、私は目を逸らすことが出来なかった。スクリーンの中の牛の目は、私に「目を背けるな」と言っているようだった。この映画は本物の精肉工場を映したものである。ということは、その牛の肉は何年か前に誰かの口に入ったはずである。私は自分が他の「いのち」を消費して生活しているということ、その恩恵を受けていることを前提として、自分の生活が成り立っているということを思い知った。</P><P>また、食材を得るために、自分の手は全く汚さず、多くの人々に自分がやらなければならないことの大半を「やってもらっている」ということを知った。近代化するにつれて、食材の入手はより簡単になっている。それはただ単に機械の整備や技術の進歩の問題ではない。私たちが食材を簡単に手に入れられるのは、「誰かがやってくれている」ことが増えているからである。より便利にするため、より簡単に調理するため、より清潔に安全にするため、「誰かがやってくれている」ことは増えているが、私達は以前と変わらず、スーパーマーケットでカゴに入れて購入しているだけである。</P><P>　私たちは日毎食生活を営んでいる。上に見てきたように、様々な動物の命を貰ったり、多くの人々に支えられて生活しているのだ。彼らに感謝しなければならない。「いのちの食べかた」という映画は、そう訴えている。現代はこの単純な事実を忘れて、食品をあまりにも粗末に扱ってはいないだろうか。この映画を是非観てほしい。そして、私たちは「いのち」を食べているのだということを心に刻み込んでほしい。そして食事の前には「いただきます」と、心から言いたいものである。</P><P>　<HR></P><P><CENTER><A HREF="../51english/topic51">Topics<BR></A><A HREF="../index.html">Index</A></CENTER></P></BODY></HTML>