札幌大学国際文化フォーラム
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日本人のネイティブ・ジャパニーズ・スピーカーは、 九州の日本語でも、東北の日本語でも大体わかるはずですよね。 それと同じで本当に英語が話せますというのなら、 色々な英語も理解できないといけないのだと反省し このごろはCNNなどでそういう珍しい英語を集めて自分で極力練習するようにしていますし、 また通訳講座などでもそういう英語を聞いて訳してもらう時間をつくったりしています。 先週、札幌大学の英語専攻科ではオーストラリア英語と、 ロンドンの下町の英語のビデオを見ながら言葉のパターンのを研究をしました。 パターンの問題なので何がどう変わっていくのか、 「ゲダイ・マイト」だけではなく「ピーチ」が「ペアチ」になる、 「ティーチャー」が「タエーチャ」になる、そういうパターンを理解して分析して、 ああではこれはこの方式に当てはめればわかるのだ、 オーストラリア英語とニュージランドの、オーストラリアの田舎の英語と ニュージーランドの田舎の英語はどう違うのかなと研究をして、 「スィスタ」と片方で言っているのが「セスタ」となっていると、ではアイがAEなのだ、 そういうような分析をしています。 「あの人の英語は訛ってていたので訳せませんでした」 というのはプロではなかったと深く反省しています。ごめんなさい。 それから、公のイベントというか行事・催し物なのですけれど 文化関係のイベント、文化経済関係とスポーツ関係があります。 まず、文化関係で毎年行われている、札幌でちょうど今年の夏に10周年を祝ったPMFですね パシフィックミュージック・フェスティバルという国際教育音楽祭で、 幸いなことに私が1年目からかかわらせていただいて、 最初の2年はプレス関係だったのですけれども、3年目から元バーンスタインのマネージャーだった ニューヨークのPMFファンデーションの理事長のアシスタントを務めています。 どのイベントにもいえることですが、音楽祭といってもそういう表のものだけではなくて、 運営上のいろいろな会議が多いのです。 そういうのを担当するようになって、ちょうど大学も夏休みの時期や試験期間なので、 10年間続けることができています。 本当はそろそろ何かまとめなければいけない時期なのですけれど その理事長が引退するまではそれを続けて観察していこうと思います。 札幌市のいわゆるお役所の人たちと、そういう音楽業界の人たちのコミュニケーションですから 最初はしっくりいかなかったり、お互いを理解できなかったりしたこともあったのですけれど、 10年目でずうっといる方もいますし、それから引き継ぎもうまくいって、 人間関係もすごくうまくていっていて、来札するアーチストの方たちなどとも、 コミュニケーションはスムーズにできています。 本当は逐次だけで、同時通訳の場は余りないので、そういう研究にはならないのですけれど 長期的な対人コミュニケーションの変化というのですか、 そういうものを見る上ですごく役に立っているオブザベーションマテリアルです。 今に何かの研究結果を出したいと思っています。 また、札幌っ子として札幌の名前を世界に広めるために貢献しているのだという自負もあり かなり無理をしても、続けています。 それから、札幌国際見本市というのが昨年開かれましたけれど 実際の見本市のところに待機するのは一般通訳者ですが、北米住宅セミナーですとか 貿易関係のセミナーがあったときは、担当させていただくというような形でかかわってきました。 イベントの最後がスポーツ関係なのですけれども、まずアジア冬季競技大会。 これがちょうど1990年だったのです。 私は競技の方ではなくて、こういうスポーツイベントの裏でも会議がたくさん行われていて 例えばスキー関係でしたら出場順を決める会議ですとか、 それが終わったらエラー、失格だとか、違反がなかったか、ドーピングの問題、 そういったことを話し合う会議です。 そして、議事録をつくるというような事をやったのですけれど、それが余り余りつらくて次の年でしたか ユニバーシアードがあるので、もうこの会議はつらいから担当を替えてもらおうと決心しました。 今思えばとても幼稚な考えだったのですが、 アジア大会のときに各国の大使づきの通訳者がすごく楽しそうで、レセプションに出たり、 大使とお知り合いになれたりでうらやましかったのです。 会議通訳ができる人は会議を担当しなければならないというエージェントの方針もあったので、 そのままいくと、また、会議担当にされそうだつたのです。 ひょっとしてフランス語かドイツ語ができたら、接遇通訳ができるのではという発送で、 フランスで語学学校に入り、ホームステイをしてきました。 次の年はめでたく会議を免れて対しつきの接遇担当になりました。 オランダ大使、オーストラリア大使や北ヨーロッパの大使が多く、 結局フランス後はあまり使わなかったのですが。 ただリセプションのアテンドするのではなくて、 そのご自分の国の得意な競技の観戦に随行するのですけれども、 そういう大使の方たちというのは、理由がないと東京を離れられなくて、 そういう機会がとて楽しみなのだそうです。 せっかく東京を離れたので、庶民的なところに行きたいというご希望で、 「とんでん」にお連れしたら「ああ、日本風のすてきなお城みたいなレストランだ」 と感激していらっしゃいました。 ジャンボ茶碗蒸し御存じですか、とんでんの。 スチームドエッグスープで、あんなおいしいスープは食べたことがない、 お手紙いただいて、その後もクリスマスプレゼントやカードをいただいたりして 「ああ、会議のつらく苦しい通訳よりよかったわ」と。 |