札幌大学国際文化フォーラム
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通訳と翻訳が一番違うのは、瞬時に変えなければいけないというところと
、生きた言葉を訳すというところで、チェックをするという、
その暇がないので、当分通訳というのはやっぱり必要「悪」かどうかは別として
成立する職業なのではないかと思います。

もう一つ、日本人の英語コミュニケーション力がすごく上達して、
だれでも英語ができるようになって通訳者が要らなくなるのではないかという意見もあります。
この10年ぐらいを見ていても、各業界でそういった外国向けの担当をしている方は、
予算がないから自分でするようにと言われるせいもあるのかもしれませんけれど
それなりに自分の専門のことは英語で言える方がどんどんふえています。
ただ同時通訳を必要とするようなことまではやはり技術や知識がないといけないので、
受容は低下はしないのかもしれません。
ですけれども、一般的なアドホックレベルですとか、一般的な通訳、イベント通訳、
そういうことは減っていくのかもしれません。
逆に、一般の通訳のほうが、対人コミュニケーションにうるおいをもたせるために
「人間通訳者」を使うということになるのかもしれません。
早川書房のSFシリーズって御存じですか、私はあれが大好きでよく読んでいるのですけれど
SF小説では28世紀や、32世紀になっても、宇宙間言語の通訳者が出てくるのです。
機械でいいはずなのに出てきます。
そして、さきほど学長から「詩人でもある」とご紹介いただいたのですけれど 詩人も登場します。
宇宙の船に乗ってぽろろんってハープか何か弾きながら宇宙の詩を読んだりするのです。
古代20世紀の詩を罹災手―ションしたりなんていうのを読むたびに、通訳者と詩人、
この二つってひょっとして運よく永遠性のあるものを選んだのかしらと内心喜んだりしています。

次、あと5分ぐらい話をさせていただきます。
通訳とコミュニケーションということで、通訳者の正しい活用法というのがやはりあるのです。
機械ではなくて人間だということで。朝からもし会議をしていて、
お昼の時間もお昼を食べる方たちの通訳をして、そして午後からまた会議があって、
自分が一人が抜けたら話がとまってしまうと思ってお手洗いにも行けなくて
というケースが珍しくないのです。
初心者の頃は、通訳者というのは、トイレも行かないし、
御飯も食べないのではないかと思われているのかしらと嘆いても、
強くリクエストは出せませんでした。

やっぱりこの体型を見ると食べる必要はないと思われるのか、
それともお腹の周りにたっぷりお弁当を持っているから要らないと思われるのか、
結構そういう同時通訳だけではなくて、いろいろな会議、
逐次もセットになって1日、2日、3日というのもたまにあり、
食事をする生き物なのだということを忘れられてしまうときもありました。

それから、プロなのだから、そんな打ち合わせなくたってできるでしょうとかと言われるのです。
このごろは、お引き受けするものを吟味して選んで、依頼の3分の1ぐらいしかできないのです。
ちょうど講義がぶつかったりして。変わりのかたを紹介できるときは、
できるだけ、通訳だけで生活している方や後輩にやっていただくようにしていまして、
昔ほどつらい思いはしていませんけれども、
「プロのくせに」と言うようなクライアントもまだ多いようです。

それから、通訳者ではない方にとっての、「世界語としての英語」についてひとこと。
先ほど世界20億人が英語を話すと言いました。
英語を母国語としない人の共通語が英語に偏ってはいけないという考えも一つですが
インターネット時代で英語が最有力の共通言語であることには変わりはないと。
本当にこのごろアジア、アフリカをはじめ、
非英語母国語話者の英語を訳す場面がふえてきました。
90年代初めに比べると本当に多くなってきましたし、
さきほど失敗談のなかで懺悔しましたが、そういう英語を訛っていると言っては絶対いけなくて
これはアイデンティティーなのだ、個性なのだと尊重することが必要だと思います。

日本ではネイティブスピーカーの先生たちが英会話などを担当持つと、
徹底的に直そうとする場合があります。
イギリス人はイギリス英語でないと違う違うといって直そうとする、
アメリカ人はアメリカ英語が正しいと思って教えるというのがあるのですけれど
私は上手か下手か、自然か不自然かよりも、RとL、SとTH、VとBなどが区別できて、
意図が通じる英語なら全部正しいのではないかということを言いたのです。

ですから、イングリッシュではなくてワールド・イングリッシュィズの時代なのだということ、
そういう説に大賛成です。
例えば日本人の特徴というのがありますけれど、
それでもキーになる発音を意識して区別していれば、
後は多少語順が日本語っぽくても、それが日本人の個性であり、
アイデンティティーなのだと誇りを持って英語を話せばいい
という時代になったのではないかなと思います。
逆にほかの人たちのアイデンティティーのある、パーソナリティのある英語も、
やはりわかってあげないといけないなと思います。