札幌大学国際文化フォーラム
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そして、同時通訳なのですけれども、実は同時ではない同時通訳なのです。
数秒おくれぐらい通訳なのですけれども、こういう名前がついてしまいました。
もちろん同時だったら訳せるわけがないのですけれども、
数秒おくれでも数語しか入ってきてないところでいろいろなテクニックを用いて
構文を変えたり予測をしたり、原稿があるときもありますけれども、ないときも。
原稿があっても「原稿どおり言うよ」と約束する人に限って原稿どおり言わないのです。
そういうのがあって裏切られ続けながら訳すのです。

通訳ブースのことを拷問部屋とよく言いますけれども、あれは本当ですね。
それでうまくいって「すごくよかったね」と誉められることはめったにないのです。
そもそも聞いているひとたちには、
「通訳者がいる」と意識しないで気がついてみたらなぜか会議がうまく運び、
講演が成功していたというのが理想なのですけれど。

一方、「だめだった」と責められることもそんなにはないけれども、
自己嫌悪で帰ることがほとんどです。
このごろは嫌ならもう使わなければいいじゃないという開き直りなど、
これもあれでしょうか、中年女の度胸がついたというか、
若いころはやっぱりああだめだった、どうしよう、
申しわけないと落ち込んで帰りましたけれども、
このごろは私はやれるだけやったのではないでしょうか、
とそういう感じで割り切れるようになってきました。

地方では、春と秋の学会シーズンや雪祭り期間以外は、
それほど頻繁に機会があるわけではありませんので、
間があくと、すぐには感覚がもどらないこともあります。
常にトレーニングを重ねているべきなのですが、なかなか。
ところでその数秒おくれ通訳なのですけれども、
ちょっと時間の配分の関係で余り詳しくはやっていきません。

そうですね、日本語から英語をするのを日英、英語から日本語、
英日なのですけれども、大体通訳者がデビューするとき、
その1990年の私のブースデビューもどちらが先だった思われますか。
英日だと思います?日英?
ところが日本で開催する場合は、大体クライアントというのですか、
市町村や大学の、主催者の方が日本人ですよね。
それで、何で雇うかというと英語ができないから雇う場合もあって、
判断するのは日本語でするのです。
日本語は丁寧語ですとか、敬語とか難しいですね。
だから日本人のを英語に直す方がセーフなのです。安全なのだそうです。
というわけでデビューは日英でした。日本語から英語に直す。

それで、私もそういうことでいつも逐次通訳でなれていた分野を同通したのです。
ところがこのブースデビューの90年の前に、実はセミデビューがあったのです。
これは通訳を本当にさせてもらったのではなくて、
メモとりアシスタントという形で入りました。
今はもうなくなったのでしょうか、カナディアンワールドの話をしていたところで、
ああ、懐かしいですね、10年前なのです、11年前ですか、
そういうときだったのですけれども、そこでやっている間に、普通3人組か2人ペアでつくのです。
2人しかブースに入れません。3人のときは1人が外で待っています。
3人使うべきところを予算かがなくて2人でするときはメモをとるのも結構疲れるのです。
15分か20分訳して、もう一人は休んでいるのではなくて、
その間この話している人のために数字ですとか、固有名詞だとか、
それからちょっと聞きづらいもののメモをどんどんとるのです。

ここだけの話ですけれども、メモも全部読めるとは限りません。
本人一生懸命書けば書くほど汚い字になったり、続け字になったり、
全部読めるわけではないのですけれども。
それで1人どうしても休みたいとき、1日中するときはアシスタントが入って、
メモとりだけ担当することもあります。
そういうので最初にデビューしたのですけれども、
そのあとすぐ同時通訳ができたかというと、そうではなくて、
今度はちょっとだけ同時通訳、これは一、二分の挨拶文で、
やっぱり偉い方に限ってお忙しいですからそんなに変えないですね、挨拶はね。