札幌大学国際文化フォーラム
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最初の開会の挨拶などは、もう原稿が二、三日前に来ることがありますので
その2分ぐらいのをベタ訳をしてきました。
ベタ訳というのはもらった原稿を全部日本語で訳をつけるのです。
もちろん予習にはなりますけれど、途中で飛ばれたりすると、
かえって訳だけ見てると、どこだったのだろうとわからなくなってパニックするのですけれども
一応ある偉い方はそのまま言うので有名だったので、これはセーフだということで。
それも知り合いの通訳者のところに入れてもらうのならよかったのですけれども
たまたまそれが東京からの一流同時通訳者のところで、
「ちょっと最初の○○さんのところだけ挨拶やらせやってください」
とコーディネーターの人が言って、最初だけ、そのときその2分ぐらいのスピーチを訳して
そしてもう暗記しなければといって前の晩徹夜して、頭もぼうっとなっていて、
そして緊張の余り咳が出るのです、もうすぐだと思うと。
咳どめを飲んで、くしゃみも出る、朝起きたときからくしゃみも出てくしゃみどめも飲んで
そうするとのどがからからで、
その2分だけのためにもう一生こんなものするものかと思いながら冷や汗でやりました。
通訳講座での訓練とOJTはかなり緊張感がちがうものです。

ありがとうございましたと出てきて2分間だけだったのですけれども、
もう本当に2時間ぐらいの気持ちがしたことを覚えてます。
何でこんなつらいことをまたするようになっ
たのかなと、あのとき思い出すと不思議なのですけれども、
やっぱり5年ぐらいまでは、もう二度とするものかするものかと思いながら。

悔しい、今度はもっとうまくやるわとは思わないのです。
もう嫌だもう嫌だもう嫌だというのがしばらく続きました。
そのくらいで、通訳の様式のところを切り上げて、役割なのですけれども、
通訳者の役割というのは言語の媒介である。

そして御存じと思いますが、アポロ月着陸のときの同時通訳で有名な西山千先生。
西山の講座を受けていましたので、
「通訳者は黒子ではなくてはいけません。黒子でないといけませんし、
ときには透明人間でないといけません、上手な通訳者は透明人間になれます」
という話を聞いて、なるほどと感心したのです。
かといって、やっぱり機械のかわりであってはいけない、なければもっといいものなのに
手袋をはいて握手をするようなものなのに、
必要だからいるけれど存在を意識させてはいけないということです。

でも、その場合によっては、交渉の橋渡し役だとか、
仲介役という役割をできることがあってそれからヒューマンタッチな場面もあって
そういうときはそういうときですごく感激も大きいのですけれども、
一般には黒子が理想的と言われています。
単なる言語の媒介ではなく、そしてコミュニケーションの橋渡しというのは
もうちょっと見えている状態ですね。