札幌大学国際文化フォーラム
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それでは、いよいよフィールドワークの例です。
フィールドワークと書いているのは、
今は大学教員になって5年目で札幌大学は3年目なのですけれども
札幌大学で教えるようになってから、
通訳の研究分野をすることか許されるようになったので、
フィールドワークという呼び方をしています。

ここで振り返ったのですが、全部の年代はなかなか思い出せないのです。
何が何年にあったか、そういうことは追求しないで、
ただ90年代にあったということでご了承ください。
色々な例えばエージェントのパンフレットを見たり、それから色々な記録を見たりして
正確な名前をなるべく書こうと思ったのですけれども、
私たちの間では、「ああ、あのイカのね」とか、「あの無重力のね」とか、
そういうぐらいで正式の名前ってなかなか思い出せないものですから。
まず忘れられないこと、忘れたいこと、感動したこと、失敗談、
これを混ぜながらいってみたいのですけれども。

まず、学会という最初の項目があるのですけれども、
この学会というのは専門分野の中でも特にやはり高度なものなので
結構東京からそういった専門分野の通訳者が同時通訳をすることが多いようです。
東京の一流通訳者は、それこそ毎日、多いときには1日に2回同通をされる方もいて
分野も自分の専門をお持ちの方も多いのです。

ただ北海道ですと、私はこれが専門ですといっても、
そういうわけにはいかなくてもう雑職です。
空港の出迎え、アテンド、表敬訪問、観光、接待、打ち合わせ、会議・講演・シンポジウムなど
全部を担当しなければならないケースも多いのです。
とにかく学会の中でも、例えば公開フォーラムだけとか、
それからシンポジウムの部分とか、それから3人のお1人東京から専門の方来ていただいて、
あと2人が地元とか、そういうパターンがあって、
その学会の数は余り多くは思い出せませんでした。

そして、一番つらい思い出として残っているものが幾つかあって、国際地域学会、
これは私が初めて担当した本格的な学会だったので大変つらかったのですけれども
何せこのときに半日だけの通訳のために、
初めて5センチぐらいの厚さのその資料をいただいて、
それでもうびっくりしてしまったのですけれども、
後になってそれが当たり前だということがわかりました。

資料が多いと文句を言えるうちは幸せだというか、
資料がないと文句を言う方がよっぽどつらい、資料はないよりはあった方がいい。
でも中には資料をくださいと言うと、
「余りうるさいからとにかく何でも送っちゃえ」ということか、
関係ない、その発表する先生が5年前に出した論文とかどーっと来てしまうのです。
そうするとこっちはわからないので、ああこれは資料なのだろうと思って予習すると、
ああ、あれは5年前ので今回のテーマには一切関係ありませんとか、
研究分野は変わりましたと言われてむだに終わってしまうこともあるのですけれども
そういうときは怒らずに、ああ、何か教養がついたわと思って我慢することにしています。

それでもう一つ、北方民族学会と、
これがつらかったのは神様の名前とかが何十も出てくるのです。
それもその現地語というのですか、エスキモーならエスキモー語ですとか、
インディアン語ですとか、アイヌ語などはわかりやすいですけれども、
そういう言葉でどんどん出てきたのでつらかった。

このときにとても今思い出してもどきっとしてつらくなるようなことがあって、
これは2人組の通訳でした。
そして電話でもう一人のパートナーと打ち合わせて
何番目をだれが担当をするという話をしました。
その何番目というとらえ方がお互いに違っていて、
司会者のコメントというのを1に数えてしまった私と、発表だけの何番目で言っていた彼女と、
では偶数は私が担当するから奇数をやってと言われて、
そして直前に照らし合わせたら2人とも同じのを予習していたのです。
「どうする」前の晩の電話でどうすると言ったきり、
2人とも電話で黙っていて、ここで声を出したら負けだと思って、
「わかった、新しいところ私がします」と言いそうな自分をもうこうやって押さえてしばらくしたら
「わかった」と相手が言ってくれたので、
ちょっとそれ以来その人には頭上がらないのですけれども、
それを一晩で予習する力は自分にはなかったなと思って、今でも反省というかぞっとしています。
そういうつらい思い出がある北方民族学会です。