札幌大学国際文化フォーラム
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それから、もっとつらいのが、せっかく分担しますよね、
2人で分担しても、最後になると総括といって結局はお互いの論文も
全部読んでいないとディスカッションができないのです。
ですから分担しても相手がやっているときも全部聞いてなければいけないし
単語も結局は全部覚えなければいけないと。
自分が担当したスピーカーが話すときだけ
ぱっと交代するといいのではないかと思われるかもしれないのですけれど
15分おきでいこうとか、20分おきでいこう、その間は責任を持って訳すと決めています。

訳している方の人が、時間が区切りのいいところで合図をしてマイクを渡すというルールがあるので
全部の内容をわかっていなければなりません。
中には、論文の種類によっては15分で区切るより、これは30分あるけれど
一人で担当しようと、そういう場合もあります。

このイルカ、鯨のときつらかったのが30分ごとで決めたのですが
主催者が私たちに知らせずに順番を変えたのです。
「よく考えたらこっちの順番の方がいいので、これでいきます」、
そうしたら一人の通訳者が1時間続けることになってしまったのです、直前に。
戻してくださいとお願いしても、もうそれで決まってしまってプログラムもそうなってるし、
変えれませんと言われてしまいました。
1時間近くで最後の方はやっぱり夢遊病状態でなぜか口が動いていたというような状態でした。

それから、国際渡り鳥シンポジウムというのがあって、
これ以降私はまず「札幌?」とかとこう聞くようになったわけです、何かの通訳を頼まれると。
札幌ではないというのは結構このごろ釧路、
ラムサール条約があってから釧路なども増えてきたのと、東北もあるので聞くのです。
初めから「どこどこであるのですけれども、お願いできますか」という話ばかりではないのです。
特に言いづらいところほど後々に持っていって、
「ひょっとして釧路?」「いや」「北見?」「いや、天売島だ」と言うことになるのですね、これが。

それ以降、余り自分がよく知らないまちのときは「そこ水洗トイレになっている?」、
それを必ず確認するようになりました。
このとき生まれて初めてゴザの上で同時通訳というのをやったのです。
あれは二度と体験できなくて、一生懸命訳してハッと気がついたら足がしびれていると、
そういう状態だったのと、それから水洗トイレではないのもちょっと。
その民宿では、狭い部屋にもう一人の通訳者と同質で、よろよろよろとしたおばあさまが
素朴といえば余りに素朴なお食事を運んできてくださったということもあり、
大体水洗トイレになっていればその宿泊場所のスタンダードもわかるのでは?と思って、
それ以後はそういうことを気をつけています。
ただ、そういうところだったのですけれども、でも結構そういう田舎では、
会議の合間に町内会のおばちゃまたちが炊いてくださった豚汁やおむすびを食べたりと、
それはそれでまた楽しいことはありました。

それから、そのときいろいろなカモメの種類とか、カラスの種類なども出て、
飛んでいる鳥を見ても、ただカラスとか、カモメとは言えなくなって
「あっハシブトオオガラス!」とか、「あれはハシボソコガラス」とか、
「何とかかんとかカモメ!」、そういうふうに言えるように1週間ぐらいはなっていたのですけれど
記憶力にはメモリーにはショートメモリーとロングメモリーがあって、覚えたいことでも消えていきます。
日ごろハシブトでもハシボソでもどうでもいいということは忘れてしまいますし、
イカタコに至っては次の日にはすっかり忘れてしまいました。